2015年の12月に“Haberturk”で放送された番組でメルヴェ・カヴァックチュ氏(女性)は、アメリカのイスラムフォビアを変動局面的な問題であるとして、かなり楽観的に見ていたものの、ヨーロッパのイスラムフォビアは、過去の植民地史の清算といった側面も含まれていて一層根深い問題であり、そう簡単には解消されないだろうと語っていた。
また、2016年の1月頃に放送された番組で、政治学者のブルハネッティン・ドゥラン氏は、トルコのイスラム主義は、オスマン帝国の時代、国家を守る思想として生まれたのであり、他のイスラム地域のように「植民国家への抵抗」という要素を持っていなかったため、トルコ共和国以降も、自分たちの国家の利益は守ろうとした、と述べている。
ミュムタゼル・テュルコネ氏は「誕生から死に至るまでのイスラム主義」という著作の中で、エジプトのサイイド・クトゥブによるラディカルなイスラム主義が、トルコには制限された影響しか残せなかった要因について、「トルコでは如何なるムスリムも、西欧に対して、あれほど打ちひしがれた感覚を持っていなかった」と記していた。
最近、日本のメディアでイスラムに纏わる問題が論じられても、こういった「トルコの視点」は殆ど無視されているのではないかと思う。
日本でイスラム研究に携わっている方たちの多くが、エジプト等へ留学し、アラビア語を修めて来たので、トルコは「圏外」の扱いになってしまうのだろうか?
もっとも、イスラムの聖典はアラビア語で記されているのだから、当然の成り行きであるかもしれないが、オスマン帝国は決してイスラムの辺境ではなかった。それどころか、ある意味で「中心」と言っても良い存在だった。
サウジアラビアのワッハーブ派などが、却って時代に取り残された「辺境の発想」と考えられても不思議ではないような気がする。
上記のトルコ人識者らは、いずれも「西欧の植民統治」の問題に言及しているけれど、現在、イスラム・テロに関わっているムスリムは、その殆どが「西欧の植民地だった地域」で生まれているか、そこから移住した西欧で生まれ育ったりしている。
いずれも、ある程度インテリだったりして自惚れが窺えたりする、ところが西欧の社会は彼らを認めてくれなかった。この「自惚れているほどには世間から認められなかった」という心理、あるいは疎外感といったものは、日本で無差別殺人などを犯した連中にも共通しているのではないだろうか?
パキスタンの物理学者パルヴェーズ・フッドボーイ氏は、「どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである」と論じていた。
優越・劣等の葛藤という問題は、過激な思想に捉われてしまった人たちにとって、各々の宗教の教義などより遥かに影響力があったように思えてならない。
まともな教養のあるトルコ人ならば、かなり信心深くても「コーランに記されている教義は全て正しい」と文字通り受け取っているわけじゃないだろう。少なくとも「全て実践しなければならない」とは考えていないはずだ。
例えば、教義の規定通りに断食を実践しようとしたら、白夜の地域の人たちが死んでしまうことぐらい皆承知している。以前、信心深いトルコの友人に、これを持ち出して論おうとしたら、「宗教は人の生活をより良くするためのものなんですよ。死んでしまってどうするんですか!」とあっさり却下されたことがある。
トルコのあるイスラム神学者によれば、神は当時のアラブ社会が対応可能な範囲で啓示を下されたそうだ。「ムハンマドは当時のアラブ社会の常識以外に知るところがなかった」とは言えないから、このように論じるよりなかったかもしれない。
一方で、「イスラムは平和の宗教」と持ち上げて、日本で暮らすイスラム教徒に過剰な配慮を促そうとするのもどうかと思う。私学はともかく、公立の大学などで「イスラムの教義に則ったハラールの食事」まで提供する必要があるとは思えない。
食に禁忌のある宗教はイスラムだけじゃないはずだ。ヒンズー教やユダヤ教の信徒からも同様の要求があったらどうするのか?
また、イスラムの教義を掲げてテロを実行している過激なムスリムが存在しているのも事実である。これに対応しなければならないのは当然だろう。
いずれにせよ、極端な論説ばかりメディアで取り上げられてしまうのは問題であるような気がする。