アトランティック・レコードの創業者であるアーメット・アーティガン氏が眠る、ウスキュダルのオズベックレル・テッケスィ(オズベックレル僧院)にある墓地。
僧院の礎を築いたと言われるアブドゥラー・エフェンディの後裔にあたる方が、今でもお住まいになっていて、2007年に初めて訪れた時も、この方のご好意で中へ入ってお墓の写真を撮らせてもらったけれど、先週、友人をここへ案内したところ、また同様の機会を得ることができた。
アーメット・アーティガン氏(トルコ語ではアフメット・エルテギュン)は、イスタンブールに生まれ、父親が駐米トルコ大使に任命されたのに伴ってアメリカへ渡り、その後、アメリカに残ってアトランティック・レコーズを創設し、ジャズやロックミュージックの分野で大きな成功を収めた人物。
アーメット・アーティガン氏、そして、アトランティック・レコードの名プロデューサーであり、やはり預言者ムハンマドの後裔と言われるオスマン帝国の名家の出身だったアリフ・マーディン氏については、以下の2014年1月の“通信”を始め、何度か取り上げているのでご参照頂きたい。
墓地には、アーメット・アーティガン氏の父で駐米トルコ大使だったミュニル・エルテギュン氏(1883年~1944年)も眠っているが、この人物について調べていて、上記の“通信”に重大な誤りがあったことに気がついた。
「トルコの名家」と題した“通信”に、「・・・父親の任期が終了して家族がトルコへ帰った後もアメリカに残ってアトランティック・レコーズを創設し、・・・」と記してしまったけれど、ミュニル・エルテギュン氏は、1944年、任期中にアメリカで亡くなっている。訂正してお詫びしたい。
ウィキペディアの記述には、ミュニル・エルテギュン氏の遺体が戦艦ミズーリによってトルコへ移送されたことも明らかにされている。あの太平洋戦争における日本の降伏調印式が行われた戦艦ミズーリである。