メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国

日本とアメリカの友好

88年、韓国語を学んでいたソウルの語学学校で、同じ教室にいたアメリカ人の青年は、休み時間に、日本の漫画を読みながら笑ったりしていた。韓国語ばかりでなく、解らないふりして、日本語も密かに勉強していたのだろう。もちろん、韓国に留学していた青年…

地下鉄のドア/韓国の大統領

昨日、カルタルで地下鉄に乗って、3つほど後の駅だったと思う。ドアが開くと、立っている人がまばらにいる車内に乗り込んで来た高校生ぐらいの男女3人は、真っすぐ反対側の閉まっているドアのところまで進み、3人並んでドアへ寄りかかりながら胡坐をかい…

韓国大統領の悲劇

2012年12月の大統領選挙で、韓国の保守派がパク・クネ氏を担いだのは、やはり何としても革新左派の大統領就任を妨げたいという一念からではなかったかと思う。あの選挙で、対抗馬だった革新左派のムン・ジェイン氏は、故ノ・ムヒョン元大統領の側近中…

トルコと韓国の民主化の歩み

2006年12月のミリエト紙で、ジャーナリストのジャン・デュンダル氏(現在、フランスに逃亡中)は、アンカラの韓国大使館で23年間にわたり、外交官として働いたぺク・サンキ氏にインタビューしながら、韓国とトルコの民主化について、以下のように述…

何でも相手の尺度に合わせてしまう日本人?

今はどうだか解らないが、かつて日本では、海外生活の手引書といった本に、以下のような記述が見られたりした。「キリスト教やイスラム教の国で、無信仰と自己紹介したら、人間扱いされなくなるから、仏教徒と答えるように・・・」私も、相手がイスラムの信…

トルコ・日本・韓国・それぞれの歴史に纏わる悩み

トルコの人たちから、「貴方は、“ブディスト”ですか、“シントイスト”ですか?」と良く訊かれる。以前は、これに「両方です」などと簡単に答えていたけれど、そのうち、『果たして、この問いは、日本語にどう訳したら良いのだ?』という疑問が生じてきた。“ブ…

日本の正教会と韓国の正教会

2004~5年にかけて、イスタンブールで正教徒のルムである故マリアさんの家に間借りさせてもらったこともあり、私には正教会がとても身近に感じられるけれど、どうも日本では、カトリックやプロテスタントに比べて、あまりポピュラーな存在ではないらし…

88年の韓国ソウル

1987~88年の当時、韓国の人たちが「日本へ畏敬の念を懐いていた」というのは大袈裟で言い過ぎだったかもしれないが、秘かな敬意を持って、反日やっていた人は決して少なくなかったと思う。あの頃の日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか言わ…

トルコの親日

私の父は大正6年の生まれで、太平洋戦争が始まった時は24歳になっていたから、年齢的にも「戦前の世代」と言える。そのうえ、父の家は、戦前、なかなか羽振りが良かったものの、戦後になって零落したため、父にとっての戦前は、戦後より遥かに良い時代で…

アルファゴVSプロ棋士

先週、韓国は人工知能の囲碁プログラム“アルファゴ”とイ・セドル九段の対局で大分盛り上がっていたようだ。ネットで視聴できる「KBSの9時ニュース」も毎日詳細に対局を伝えていた。アルファゴの「ゴ」は即ち「碁」であり、囲碁は世界の何処へ行っても「…

吉原・山谷/韓半島の統一

大阪で「あいりん地区」と「飛田新地」が隣接しているように、東京では「吉原」と「山谷」が背中合わせになっている。私は生まれ育ちが錦糸町で、子供の頃から浅草辺りなら良く出かけていた。それと知らずに山谷・泪橋を通って、『この街、少し変だぞ』と驚…

極東と中東

中東の危機は言うまでもないが、極東の雲行きもなかなか危ういらしい。北朝鮮の状況は、いつ急激な展開があってもおかしくないと伝えられている。 エーゲ海で遭難するシリア難民のように大きなニュースにならないだけで、中朝国境の鴨緑江を渡ろうとして命を…

中華料理の思い出に乾杯!

昨日、市内のショッピングモールにあるフードコートで、久しぶりに中華バイキングを食べた。5~6年ぶりだったと思う。風邪が治らず調子が悪かった所為か、少し濃い味付けのものが食べたくなっていた。食べ放題のバイキングが23リラ。今、イスタンブール…

日本と韓国を繋ぐ橋

大阪に住んでいた“1996~8年”、韓国居留民団の某支部事務所へ度々立ち寄っては、役員のHさんから色んな話を伺った。この支部事務所を最初に訪れたのは、どういう経緯だったのか、ちょっと覚えていない。何か問い合わせるために赴いたのか、あるいは、…

ノーベル賞・韓国の報道

今年のノーベル賞では、科学3賞から初めて中国人の受賞者が出たと話題になっていた。しかし、中華人民共和国の国籍に限らなければ、もう何人も中国人・華人の受賞者が出ていたのではないかと思って、ちょっと検索してみたら、やはり既に7人の科学3賞受賞…

ソウルの中国大使館

8月に訪れたソウルで、改築された中華人民共和国大使館の豪勢な佇まいに驚いた。大使館は、ソウルきっての繁華街ミョンドン(明洞)のど真ん中に位置している。私がソウルに留学していた頃は、中華民国(台湾)の大使館だった。実を言うと、私は改築後の豪…

適応力の問題?

セブンイレブンなどのコンビニやスーパーで、『20歳以上ですか?』と確認するのは、もう3年ぐらい前から実施されているそうだ。どうやら、正月に来た時は、コンビニ等で酒類を買い求めたりはしなかったらしい。 しかし、3年も前から実施していたのでは、…

韓国とトルコのクレジットカードとスマホ

韓国はまさしくカード社会になってしまったらしい。商店、飲食店はもちろん、タクシーも殆どカード払いのようだった。すでに現金など持ち歩く必要はまったくないかもしれない。トルコもカード社会を目指していて、何処にでも端末機が置かれているけれど、未…

ソウルで食べた美味い物

スンデクッパプ(豚の血腸詰入り汁ご飯)、ナクチポックム(タコ炒め)、パッピンス(小豆かき氷)。店は、いずれも旅館から10分以内の所だった。スンデクッパプの専門店は、サウナ(スーパー銭湯)のあるビルの1階にあって、2年前に来た時も、『ここは…

エギナの聖ネクタリオス

ソウルの聖ニコラス大聖堂で頂いてきた「エギナの聖ネクタリオス」は、まだ“序論”や“訳者あとがき”に目を通したぐらいだが、ネットで検索してみたところ、聖ネクタリオスについては、ウィキペディアにも「エギナのネクタリオス」という項目が掲載されていた…

聖ニコラス大聖堂

ソウルで過ごした6日の間には、日曜日も入っていたので、東方正教会の聖ニコラス大聖堂に出かけて、日曜ミサを見学して来た。ここを訪れるのは、2013年の4月に続いて2度目だが、ミサを見学するのは初めてだった。府主教はギリシャの方で、説教はギリ…

日本はもう島国じゃない

7月24日に、大韓航空でイスタンブールを飛び立つと、インチョンまでは隣の席に、上海からトルコへ旅行に来たという若い女性が座っていた。愛想が良くて綺麗な英語を話していたけれど、私の英語力では殆ど会話にならなかった。私は長時間飛行機に乗る場合…

ソウルの山登り

ソウルの最終日だった18日の午前中、景福宮の西側に聳えるイナンサン(仁王山)という山に登ってみた。旅館からそのまま歩いて登れる標高338mほどの小さな山だが、荒々しい岩肌がむき出しになっていて、なかなか結構な山らしく見える。ちょっとしたハ…

ソウルのコンビニ

ソウルは夕方になれば、東京に比べて随分過ごしやすかったけれど、それでも日中はかなり暑くなった。外を長時間歩いていると、汗をかいて喉も渇き、思わず喫茶店に転がり込んで、冷たいものでも飲みたくなるが、どこでも洒落たカフェばかりが目につき、相当…

大元旅館 ― アンカラ公園 ― ドンドゥルマ(アイスクリーム)

ソウルの宿、大元旅館は今月で閉館するそうだ。最後に、もう一度泊まることができて本当に良かった。2年前に初めて泊まって感激し、なんとか近いうちに再訪したいと思っていたら、意外に早く実現したものの、これが最後になるとは・・・。 今回の一時帰国は…

ソウルの日本語・日本食

ソウルでは、2年前と同じ大元旅館に宿泊するつもりでいたけれど、インチョン空港でソウル駅行きの電車に乗ってから、果たしてこの先、地下鉄の何号線に何処で乗り換えて、何処で下りるのか、何も覚えていないことに気が付いた。景福宮・光化門(カンファム…

イーテウォンのパスターネ(パン・菓子店)

イーテウォンには、イスタンブールで見かけるのと全く変わらないようなパスターネ(パン・菓子店)もあった。パンや菓子の品揃えから、ショーケースなどの配置まで、何から何まで同じようになっていた。缶ジュースもトルコの”Tamek”だった。私が出かけた時は…

イーテウォンのモスク

帰途、ソウルに到着した翌日が金曜日だったので、イーテウォンにあるモスクへ金曜礼拝の様子を見に行ってきた。このモスクの由来については良く解らないが、形状からして、トルコのモスクとは大分違うような気がする。東京ジャーミーのように、トルコの文化…

インチョン空港

韓国ソウルのインチョン空港に来ている。成田への乗り継ぎに寄っただけで、入国するつもりはなかったけれど、イスタンブールで土産に買ったラク等が、手荷物検査に引っ掛かり、一旦入国して、大韓航空のチェックイン・カウンターへ行き、これらを荷物として…

格安ホテルの韓国人旅行者

日曜日(12日)の早朝、シルケジで用事があったので、土曜日の晩は、近くの安ホテルに泊まった。この安ホテルには、ちょっとした思い出がある。2005年、ボスポラス海峡横断地下鉄の工事が始まった頃、私も一時期現場通訳を務めたことがあったけれど、…