メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国とトルコのクレジットカードとスマホ

韓国はまさしくカード社会になってしまったらしい。商店、飲食店はもちろん、タクシーも殆どカード払いのようだった。すでに現金など持ち歩く必要はまったくないかもしれない。
トルコもカード社会を目指していて、何処にでも端末機が置かれているけれど、未だタクシーには余り普及していないと思う。(この一年ぐらい、タクシーに乗った覚えがないから良く解らない、空港のタクシーには結構普及しているという・・・。)
また、トルコではカードを端末機に入れて、暗証番号を押しているが、韓国は液晶の画面に備え付けのペンでサインするやり方になっていた。いずれにせよ、クレジットカードがない私にとっては、やっぱり日本が何といっても心安い故郷である。
トルコはカード社会を目指しているから、外国人であってもトルコ人の保証人を一人立てれば簡単にクレジットカードを作ることができる。銀行でも何度か作るように勧められた。しかし、今のところ、カードがなくても、さほど不便は感じていないので、そのままにしている。
クズルック村にいた頃は、頼みもしないのにカードが支給されたけれど、全く使わないでいたら、数年のうちに無効となった。要するに、使わなくても済むのである。それに、何より「信販」という言葉が私は嫌いだ。こいつからは「審判」という別の言葉も連想されてしまう。人を金銭の量で判断して裁くとでも言うのか・・・。
韓国はスマホの普及も凄かった。ソウルで地下鉄に乗ると、座席にずらりとスマホを手にした人たちが並んでいる。しかも、その殆どがイヤホンを耳につっ込んで、外界との接触をなるべく遮ろうとしているかのようだ。
トルコでも、スマホはどんどん増えている。また、スマホに限らず、相手の通話をイヤホンで聞きながら、襟元に付けたマイクロフォンを使って話す人が多い。ソウルにも、襟元のマイクロフォンを使って話す人たちはいたけれど、大概、マイクロフォンをつまんで口元へ持っていき、静かな声で話していたような気がする。
これがトルコの場合、通話している時も、両手を使ったジェスチャーを交える人が多く、街角で一人中空に向かって、両手を広げたり振ったりしながら、大声で話しているのを良く見かけたりする。
先日は、バス停に座っていた若い女性が、そうやって通話していた。女性は普通の大学生風に見えた。
最初は、ジェスチャーも声も小さく、いく分か頭を下げて、マイクロフォンへ口を近づけながら話していたものの、そのうち会話の内容に興奮して来たのか、徐々に手振りが大きくなり、それにつれて声のボリュームも上がり、ついには立ち上がって、急がしく両手を上げ下げしつつ、「そうじゃない! お前は解っていない!」とか大声を出し始めた。
そうしたら、コードに手を掛けて引っ張ってしまったのか、ジャケットの内ポケット辺りから、スマホがごろっと落ちてきた。

 コンクリートの地面にあたって、かなり大きな音がしたけれど、今のこういう機器は結構丈夫にできているのか、彼女が「チェッ!」と舌打ちしながら、慌ててイヤホンを引き千切るように耳から外し、スマホを拾って耳にあてがうと、異常もなかったらしく、そのまま通話が続けられた。

 「携帯が落ちただけよ! なんでもないわよ!」と彼女は叫び、バス停で一部始終を見守っていた人たちは、皆、呆れ果てたような表情を浮かべていた。
まったく妙な世の中になったものだ。私のようなロートルは、カードも蔓延っていなければ、携帯なんて、それこそ想像も出来なかった昔が懐かしく思えてしまう。

*写真:本文とは関係ないけれど、グーグルアースにいよいよモンゴルのウランバートルがアップされてとても嬉しい。ここだけはいつか行ってみたい。でも、ここにも携帯の画面を見ている女性が写っている。

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