メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの親日

私の父は大正6年の生まれで、太平洋戦争が始まった時は24歳になっていたから、年齢的にも「戦前の世代」と言える。
そのうえ、父の家は、戦前、なかなか羽振りが良かったものの、戦後になって零落したため、父にとっての戦前は、戦後より遥かに良い時代であり、言わば「確信的な戦前派」だったかもしれない。
文芸春秋」やら「諸君」といった雑誌を購読し、司馬遼太郎の小説などを好んでいた。私も小学校の高学年になると、そういった雑誌や本を書棚から引っ張り出して読んでいたので、知らず知らずに、頭がそういう風に出来上がっていたような気もする。
1987年に韓国へ語学留学する前、井の中の蛙だった私の頭は、こうして日本に対する揺るぎない自信に満ち溢れていたと思う。充分に予想していた「韓国の反日」ぐらいで、この自信が揺らぐこともなかった。
ソウルの下宿のおじさんを始め、日本統治時代を知る人たちは、当時の良い思い出を語ったりしていたから、『ああ、この国は反日を教育する必要があるんだな』と悦に入っていたくらいである。国民の大半が日本を憎悪していたら、学校でわざわざ「反日」を教える必要もないだろう。
89年の1月まで、1年半ほど滞在して、韓国の人たちが、日本へ畏敬の念を懐いているのではないかと感じた私は、なお一層自信を膨らませながら、ふんぞり返って帰国した。
もしも、最初に留学したのが欧米で、「ジャップ!」などと蔑まされたりしていたら、私の単純な頭は一気に自信を失った挙句、背を丸くして帰国したかもしれない。
91年、私は2番目の外国としてトルコを訪れる。渡航の前に、「トルコは親日国」的な幻想が全くなかったと言えば嘘になるだろう。
しかし、これは1年も経たない内に、全くの幻想であると思い知らされた。トルコの人たちが日本への親しみを口にした場合、そこには、『西欧人のようにトルコを見下したりしない、対等かこちらが少し見下しても構わないアジアの友人』といった感情がうごめいているように感じられた。残念ながら、この感情は日本人の方にも潜んでいると思う。
もちろん、日本に対する畏敬の念など何処にもない、却ってこちらが、その大陸的な懐の広さに参ってしまったりした。私の背も多少丸くなった。
私より若い世代には、日本の文化や技術力を正当に評価して敬意を表す人も少なくないが、それこそ「戦前の生まれ」ぐらいの高齢者になると、なかなか凄い「日本観」を持っていたりした。
5年ほど前、アナトリア通信の友人アリに呼ばれて、新聞記者協会の立食パーティーにのこのこ出かけたところ、4人ぐらい集まって談笑していた老齢のジャーナリストに呼び止められた。
その80歳は過ぎていたと思われるジャーナリスト氏は、「日本人? 日本人は凄いね、船に玩具の材料を積み込んで、太平洋を渡る間に組み立ててしまうというんだから賢いよ」とだけ言って笑い、『君はもういなくなって宜しい』という手振りで私を解放してくれた。多分、相手がいくら若くても、欧米人にああいう態度は取らなかったような気がする。
マリアさんの友人で、2009年の9月に86歳で亡くなったアルメニア人のガービおじさんも、トルコ語アルメニア語、イタリア語、フランス語をこなし、ギリシャ語と英語もかなり解るというインテリだったから、日本の歴史にも詳しく、東郷平八郎山本五十六を盛んに称賛していた。
ところが、機嫌が悪かったりすると、何処で観たのか映画「楢山節考」のストーリーを持ち出して、次のように語ったりしたのである。
「日本には爺さん婆さんを山に捨てる習俗があったらしい。まあ、文化も文明もない野蛮な国だったからな。こうやって足を縛り付けて、ドンと突き落としたら、コロコロ転げて落ちて行くんだよ。ハハハハハ」
特に、「ドンと突き落としたら、コロコロ・・・」が面白かったらしく、ジェスチャーを交えて何度も愉快そうに繰り返しながら大笑いしていた。
なんだか、この一件で、東郷平八郎を称賛したりしたこの世代のトルコの知識層が、実際には日本をどう見ていたのか解るような思いがして、私は半分納得、半分がっかりだった。
西洋文明の揺籃の地に栄えたオスマン帝国の末裔にしてみれば、当然、そのように見ていたのだろう。「東洋の野蛮国がロシアやアメリカを相手になかなか頑張った。褒めてやりたいよ」ぐらいの気持ちだったのかもしれない。
また、2011年の1月だったか、日本通の「親日家」を自称して、日本語もある程度話せる同年輩のトルコ人女性が、「ある会合で、私が日本について説明しなければならなくなったけれど、全ての質問には答えられないかもしれないから、貴方も来てほしい」というので、出かけたことがある。 
しかし、その“日本についての説明”ときたら、「日本語も中国語も全てウラル・アルタイ語族である」とか、「日本人の祖先はアイヌ人である」とか、『???』という話ばかりで、「私の説明に間違いがあったら直してください」と言われても、全く直しようもない代物だった。 
会合の後、女性の友人である“退役トルコ軍将校”も交えて、3人で雑談しながら、日本映画の話題になると、彼女は「今まで観た日本映画では、“楢山節考”が一番好き」と嬉しそうに話し始めた。 
それを聞いているうちに、ガービおじさんの「ドンと突き落としたら、コロコロ・・・」を思い出し、彼女の言い方にも、充分に嘲笑的な雰囲気が感じられたため、私は思わずムッとして言い返した。
「ああイマムラの映画ね。観ていませんが、イマムラはそういう映画を良く作ります。あれはスキャンダラスな監督ですよ」
そうしたら、退役将校は『あっ、この日本人、むきになって来たぞ』と思ったか、ハハハハと愉快そうに笑い、それがあまり嫌味な笑い方でもなかったので、私もつられて笑ってしまったが、彼女は「えっ? イマムラって何?」なんて言い出したのである。 
「その“楢山節考”の監督ですよ」 
「嫌だわ、あれってクロサワの作品じゃなかったの?」 
これでもう何も言い返す気がなくなった。凄い「親日家」である。まあ、さすがに、こういう親日家は、私と同じ世代か、それ以上の年配者に限られていると思う。今のトルコの若い人たちは、特に親日を強調しなくても、私より、よっぽど最近の日本映画に詳しかったりする。