メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本はもう島国じゃない

7月24日に、大韓航空イスタンブールを飛び立つと、インチョンまでは隣の席に、上海からトルコへ旅行に来たという若い女性が座っていた。愛想が良くて綺麗な英語を話していたけれど、私の英語力では殆ど会話にならなかった。
私は長時間飛行機に乗る場合、できる限り、最後尾の2人掛け席のいずれかを確保するようにしている。トイレに近くて、出入りも余り面倒にならない、それから後ろの席を気にしなくても済む。
翌25日、インチョンから成田までは、2時間ほどだから、何処の席でも構わなかったが、また最後尾の席になっていた。イスタンブールで予約した際、こちらも同様に手配してくれたらしい。
今度は隣の席に、韓国語を話す老婦人が座った。70歳ぐらいの方だった。
この方も愛想が良くて、成田まで楽しく雑談させてもらった。言葉が通じるのはいい。それに、お話の内容が非常に興味深く、もっと長い時間かけて詳細に聞きたいくらいだった。
最初、老婦人は韓国語で話しかけて来たため、韓国の方なのかと思っていたら、インチョンにはトランジットで寄っただけで、実は中国のハルピンから来たという。
しかし、朝鮮半島の北部から満州地域へ進出して行った朝鮮族とは異なり、ご両親はもともとソウルの人で、日本統治時代にハルピンへ働きに出かけて戻れなくなり、そのままハルピンに定着したそうだ。
だから、老婦人はハルピン生まれのハルピン育ちで、国籍は中国ということになる。
今回、日本へ行くのは、長女が東京に住んでいるからで、12年前以来の2度目の訪日だそうである。長男も東京に住んでいて、次女はソウルへ嫁ぎ、もうハルピンに家族は残っていないらしい。
老婦人も、1995年~2007年にかけて、ソウルで働いていたことがあるという。12年前はソウルから日本へ行ったのだろう。
成田に着いて、老婦人と一緒に入国ゲートを出たところ、長女の方が出迎えに来ていた。
老婦人が「この方は日本人だけれど、韓国語も話せるから、いろいろお世話になったよ」なんて紹介するものだから、長女の方は恐縮されて、日本語で「母がお世話になりまして、ありがとうございます」と挨拶していたけれど、日本語の発音といい、その身のこなし、お辞儀の仕方といい、全く日本人そのものだった。ご主人は漢族の中国人ということだが、多分、夫婦そろって、日本の生活にすっかり溶け込んでいるのではないかと思う。
ソウルでは、イーテウォンに“イスラム街”が出来ていて驚かされたものの、ソウル在住の日本人の友人によれば、街角のラーメン屋さんの店主がイランの人だったりする最近の東京と比べたら、ソウルには、“外国人”が未だそれほど多くないらしい。
私はこの17年間、たまに一時帰国するだけで、今の日本が何だか良く解らなくなっているようだ。トルコで暮らしながら、日本は島国だ島国だと思っていたけれど、もうそんなことはないのかもしれない。
人間にも社会にも、適応力というものが備わっているのだから、日本へ移住した外国の人も、日本の生活に適応して行くし、受け入れる側の社会もこれに適応して行く。それほど難しく考える必要などないような気がしてきた。

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