メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「ソウルの晩はパラダイス!」

《2013年5月7日付け記事の再録》

2013年4月の韓国行きは、3月になってから決め、慌ただしく準備した。亡くなった在韓華僑の友人の下の弟とは、10年前にソウルで会ったきりだったが、ソウルの家の電話番号が変わっていなかったので、なんとか連絡を取り合うことが出来た。
電話すると、「ウエイ(もしもし)」という中国語が聴こえた。これで、違う家に掛かったのではないと、ひとまず安心して、韓国語で挨拶した。電話に出たのは、会ったことのない上の弟だった。
彼は、2005年までの21年間を台湾で過し、奥さんも台湾の人だから、生活の中心は中国語になっているのだろう。だが、それにしては韓国語も、私には完全に思えた。
彼から、下の弟の携帯番号を教えてもらい、以後、日程などは全て下の弟と話し合って調整した。下の弟は明仁と言う。天皇さんと同じ名前。明仁の奥さんは韓国人なので、既に生活の中心は韓国語になっているかもしれない。

明仁には、「空港まで来なくても良い。ソウルの旅館に着いたら電話するから・・・」と何度も念を押していたのに、17日、インチョン空港に降り立って、ゲートを出たら、目の前に明仁の笑顔があった。10年前と何処も変わっていない、長閑で平和な笑顔だった。「ヒョン(兄)は、全く変わっていないから直ぐ解りましたよ」と言われた。
翌18日に、高校同期の友人と奥さんが日本から来た時も、
明仁は空港に来ていた。
高校同期の友人は、「俺が行こうと決めたのだから、お前の旅費も俺が払う」と言ってたくらいで、ソウル滞在中、食事などは殆ど彼が出してしまうため、トルコから用意してきたユーロはなかなか減らなかった。日本へ行けば、これまた世話になりっぱなしだったから、さすがに拙いと思った。この友人夫婦をいつになったら、トルコへ招待出来るのか。向こうも、もう当てにしていないだろうけれど・・・。
しかし、はるばると韓国まで来てくれた兄の友人たちを手厚く供応しなければと準備していた明仁は、もっと拙いと思っていたのだろう。飲食の際は、いつも「私が払います」合戦が起きてしまった。彼にしてみれば、ソウルの宿として自宅を提供できなかったことすら、申し訳ないと感じていたに違いない。
3月に日程が決まったら、「私がホテルを予約しておきますから・・・」と言い張っていたけれど、予約したら宿泊代も支払ってしまうつもりだったのではないかと思う。
明仁は中国語が出来るので、21年来、ウォーカーヒルのカジノ“パラダイス”で働いていて、もう次長に出世しているそうだ。昔のように、遠来の友人があるからと言って、職場を休むわけにも行かない。空港で出迎えたりするのも、全て寝る時間を割いて来ていたわけで、あの1週間は、彼にとってなかなか強行軍だったはずだ。
22日、明仁はシフトが変わる休日だったようで、「ペ・ヨンジュンで有名になった行楽地へ御案内しますから・・・」と言って聞かなかったが、それを何とか断り、私たちだけで市内を回って、夜10時頃、旅館に戻った。
翌朝は、板門店ツアーの為、6時には起きなければならないから、友人夫婦も早めに寝ると言い、私は一人で旅館の近くのサウナ(日本で言うスーパー銭湯)へ行った。
トルコでは、温泉地にでも行かない限り、ゆったり湯に浸かれないから、このスーパー銭湯は本当に有り難かった。
その晩も、湯の中で「ああ極楽じゃ」と身体を伸ばし、いい加減温まってから、よっこらしょと湯船を出て、シャワー場の方へ行こうとしたら、衣服を着たままの人がこちらに近づいてくるのが見える。銭湯の従業員かと思ったけれど、何だか私に向かって来るような気もする。メガネを外しているし、湯気があるので良く見えなかったが、至近距離まで近づいて、誰が来たのか解った。明仁だった。
「ヒョン(兄)、早く出て下さい。ウォーカーヒルに行くんですよ」
慌てて身体を洗い、外に出たら、友人夫婦も来ていた。私が旅館を出て、少ししたら、明仁が「ウォーカーヒルに行きましょう」とひょっこり現れたそうだ。
それから、明仁の車でウォーカーヒルへ・・・。「ヒョンたちに、私の職場を見せるだけですから・・・」という話だったのに、着いたらルーレットの席に座らされ、明仁は5万ウォン分のコインを自分で買ってテーブルに置き、「ちょっとだけ遊んでみて下さい」と言って後ろに身を引いた。
コインは20枚あったそうだが、最後の5枚くらいになってから、その内の1枚で、なんと友人が見事に36倍を当てた。元金をほぼ倍にしてしまったのだ。明仁は、「まさか当たるとは思いませんでした」と後ろで苦笑いしていた。
換金して外へ出てから、友人は元金も含めて明仁に返した。「それなら、食事を御馳走させて下さい」と明仁は言い、最近、ソウルで流行っているという“羊肉串焼き”の店に案内してくれた。
この“羊肉串焼き”は、中国から来た朝鮮族の人たちが始めたそうだ。何処へ連れて行かれたのかも良く解っていなかったが、辺りにはずらりと“羊肉串焼き”の店が並んでいた。深夜の1時過ぎだと言うのに、どの店も営業中で賑わっている。案内されたのは、その中でも有名な店らしい。
羊肉が主なメニューだが、豚の内臓等もある。肉が刺さった鉄串の端には、歯車が付いていて、それをテーブルに用意された炭焼き台の歯に合わせると、鉄串は自動的にぐるぐる回って焼き上がるという仕組みになっている。焼きあがった串は、上段に置いて保温する。この仕組みはとても面白い。
面白いばかりじゃなくて、肉も酒も皆美味くて満腹になった。明仁の車で旅館に戻ったのは、3時半を回っていた。この日は私たちにとっても、なかなか楽しい強行軍だった。

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