メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

中国に対する憧れと恐れ

私の中国に対する思いはなかなか複雑である。

まず、中国を意識し始めたのは非常に早く、小学生の頃、NHKの「中国語講座」の冒頭だけを良く観ていた。テーマ曲の「白毛女」のメロディがとても気に入ったからだ。

当時は、白毛女に限らず、ああいったエキゾチックなメロディが好きだった。「ペルシャの市場」とか「剣の舞」といった曲である。

小学校4年生の時に観て感動した映画「アラビアのロレンス」のテーマもエキゾチックな雰囲気を漂わせている。それはシルクロードやトルコに対する漠然とした憧れに繋がって行った。

ところが、不思議なことに31歳で初めてトルコへ渡った頃になると、そういったエキゾチックな曲は殆ど聴かなくなっていた。今でもたまに聴くのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲であるとか、シベリウスのバイオリン協奏曲、あとはトルコの軍楽隊「メフテル」の曲ぐらいかもしれない。

だから、中国の音楽に対する興味もそれほどではなくなってしまったが、その他の文化や歴史への憧れは絶えることなく続いている。もっとも、あまり難しい話が解るわけじゃないから、強く惹きつけられているのは何と言っても「食文化」である。

この食文化に惹きつけられたのもかなり早かった。我が家には、少なくとも年に一度ぐらいは必ず横浜の中華街へ行って御馳走を食べる慣わしがあったからだ。おそらく、苦しい家計をやり繰りして美味しいものを腹いっぱい食べようとしたら他に選択肢もなかったのだろう。

50年前の中華街は店頭にアヒルの燻製などがぶら下がっていたりして独特な雰囲気があった。いつも「鴻昌」という店に行ったけれど、幼い私にとってここで味わう中華料理ほど美味しいものはなかった。鶏の手羽先を甘酢で仕上げた料理が特に美味しく、鶏で作った酢豚のようなものだから勝手に「酢鶏」と呼んでいた。メニューには何やら難しい中国語の料理名が記されていたのである。

その後、中国への思いを強くしたのは、20代の頃に知り合った在韓華僑の友人の影響だった。

「華僑を中国人と思ってはいけない」という話は承知している。しかし、2002年に米国で亡くなった友人は、自らを「中国人」であると明らかにしていた。

韓国の華僑には山東省の人が多く、友人の父祖も山東省から満州を経て朝鮮に渡って来たのである。友人は韓国の中華学校から台湾の大学へ進学したものの、卒業までいなかったこともあって、台湾を「自国」とは思っていなかったようだ。

友人の二人の弟は今も韓国で暮らしているけれど、台湾で20年以上過ごした上の弟は、「台湾人」という意識になっているのではないだろうか? 下の弟は奥さんも韓国の人であり、既に中国語より韓国語の方が楽に話せるという。

そのため、彼らはいずれも現在の中華人民共和国に対して激しい嫌悪感を露わにしている。彼らと親しくしている私も「中華人民共和国」には抵抗がある。それは多くの日本人と同様、「天安門事件」に端を発しているかもしれない。

一方、私は米国に対して余り好感を懐いた覚えがない。

中学・高校でざっと日本の歴史を学べば、あの国が我々に何をしたのか嫌でも知ることになる。それでも「親米」になってしまう日本人が多いことも私の「反米意識」を高めたようだ。中学校以来の絶対的なヒーローがモハメド・アリだった影響もあるだろう。

米国には豊かな食文化もない。悲劇的と言って良いほど貧しい。米国が世界に広めたのはハンバーガーとかコーラとか禄でもない物ばかりである。

しかし、それ以上に影響を与えたのは、トルコで暮らすようになってから得た見聞であると思う。トルコから米国や英国を見れば、あれはまさしく「鬼畜米英」に違いない。まったく品性の欠片もない下等でふざけた連中だ。

とはいえ、バランス感覚に優れたトルコの友人たちは、「鬼畜米英」だなんて、そういう下品な戯言は慎んでいる。私も彼らを見習って米国の良い面を理解しようと努めて来た。情けないけれど、幕末の時代から現在に至るまで、日本にとって最も重要な国は米国に他ならないのである。

日本には、戦前、中国を侵略した負い目がある。中国の人たちは少なからず日本を恨んでいるだろう。再び大国に復活した中国は、日本にとっても脅威となっている。そして日本は、国防を米国に依存して来た。いざとなったら米国に頼らざるを得ない。そもそも、数万に及ぶ米軍が日本に駐留し続けているのだから勝手なことはしたくても出来ないのである。

だから、トランプ政権がロシアとトルコも抱き込んで中国を包囲するのであれば、それは日本にとってもトルコにとっても国益に適うはずだったと思う。また、勝手なことを考えれば、中国の人たちにとっても、あの巨大な国家は負担以外の何ものでもない。例えば、分裂した中国で、上海と浙江省辺りがまとまって独立しただけでも人口は軽く1億を超えるだろう。それは総生産に限らず、1人当たりの富裕さでも日本を凌駕する国になる、と考えたのである。

しかし、そうなった場合、日本と同様、中国も欧米に飲み込まれるだけかもしれないが、10億の中国を飲み込んだ米国は巨大なシンガポールになってしまうのではないかと想像したら、なかなか悪くないように思えた。

いずれにせよ、米国はロシアとトルコを抱き込んでまで中国を包囲するつもりはないらしい。このまま後10年~20年すれば、米国は中国に対抗する術を失ってしまいそうだ。それを私たちは喜んで良いのか、恐れるべきなのか解らないところが何とも複雑であるような気がする。