メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本とアメリカの友好

88年、韓国語を学んでいたソウルの語学学校で、同じ教室にいたアメリカ人の青年は、休み時間に、日本の漫画を読みながら笑ったりしていた。韓国語ばかりでなく、解らないふりして、日本語も密かに勉強していたのだろう。

もちろん、韓国に留学していた青年の興味対象に、日本が含まれていたとしても、それほど不思議ではなかったかもしれない。しかし、その3年後、イズミルの語学学校で、若いアメリカ人女性がきれいな日本語を話したのには驚いた。

彼女は、以前、日本へ留学していたそうだ。それが、何でまた次はトルコになってしまったのかと言えば、アメリカで知り合ったトルコ人男性と結婚したからで、文化的な興味対象が云々とは、別次元の要因だったらしい。

とはいえ、彼女が、遠くかけ離れた文化を持つ国々や人々へ、常に興味を抱きながら接しようとしていたのは確かじゃないかと思う。西欧系のとても美しい女性だった。

イズミルの語学学校では、他にも数人、アメリカの人たちと知り合ったが、彼らは概ね、日本に関して、ある程度の知識を持っているように感じられた。もっとも、トルコ語を学んでいたのだから、「普通のアメリカ人」とは言い難い人たちなのだろう。

それでも、ドイツやフランスから来ていた人たちと比べても、日本に関する知識は多かったような気がする。トルコ人の先生方は、悲しいくらい日本について何も知らなかった。

この10年ぐらいの間でも、カッパドキア等の観光地で出会ったアメリカの人たちが、「アリガトウ」「ドウイタシマシテ」といった簡単な日本語で挨拶してくれたことが何度かある。

ペリーの黒船以来、日本にとっても、アメリカは非常に厄介で恐ろしい国だった。トルコよりも、日本の方がもっと酷い目に合わされてきたかもしれない。

しかし、戦争や経済摩擦等々を経て、アメリカの人たちも、少しは日本の存在を認めてくれたようだ。

これは、我々の先人たちが、弛まぬ努力によって、日本の技術力や経済力を高めて来た結果に違いない。太平洋戦争で勇敢に戦った先人たちはもちろん、戦後、世界へ進出した日系企業の活躍がなければ、これほど認めてもらえなかったのではないか。

日本の製造業は、技術革新で世界的な貢献を果たしてきた。

これがアメリカでも認められたのは、アメリカの社会に根を下ろし、優れた品質により、多くの人たちから、共感と敬意を得られたことが大きかったと思う。

残念ながら、トルコには、未だそういった共感と敬意を得られるような企業が出現していない。偉大なアタテュルクの物語を伝えたところで、外国の人たちから共感を得るのは難しいだろう。

例えば、我々日本人にとって、皇室の存在は重要で有難いけれど、日本の技術力と経済力がなかったとしたら、海外で称賛されたりはしないはずだ。
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