メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国~ベトナム~イラン~トルコ

ハンさんは95年頃に韓国へお戻りになったと聞いています。まだお元気でいらっしゃるでしょうか? 

ハンさんの人生は、なかなか波乱万丈だったようです。なんでも75年のサイゴン陥落までは南ベトナムで仕事をしていて、その後はイランへ行き、ホメイニの革命後も暫くイランに留まったものの、結局、仕事にならず、トルコへ渡って来たとお話になっていました。

92年にイスタンブールへ越してから、キム・ドゥギョンさんとおっしゃる韓国の方とも知り合りましたが、この方も全く同様に、ベトナム、イランを経てトルコへやって来たそうです。

キムさんは、ハンさんより少し年上じゃなかったかと思いますが、かなり歳の離れたベトナム人の奥さんと、その間に生まれた二人のお子さんがいました。ベトナム語もお話になっていたけれど、なにしろ日本語が大変流暢で、殆どネイティブではないかと思えるほどでした。

「日本へ行かれたことがありますか?」と尋ねたら、「いや一度もないんです。行ってみたいですねえ」とお答えになったので少々驚かされました。

それから、99年に、また5ヵ月ほどイズミルで暮らした折に、一度、キオス島へ渡って滞留期間の延長を図ったのですが、この時は、キオス島でホテルを経営している韓国の方を訪ねてみました。イズミルの韓国の人たちからホテルの場所等を聞いていたのです。

キオス島では、かなり大きいホテルらしく、タクシーの運転手に名前を告げたら、直ぐに連れて行ってくれました。この韓国の方は、ハンさんより一回り若いように思えたけれど、驚いたことに、やはりベトナム、イラン経由でした。まあ、終着駅は少しずれていますが・・・。

この三人の韓国の方が、何故、ベトナムとイランで仕事されていたのか、詳しい話は伺いませんでしたが、アメリカとは何か関係があったように思います。しかし、ベトナムではサイゴン陥落を前に脱出したと言うものの、イランではホメイニの革命後も少しイランに留まっていたようで、この辺りの事情が良く解りません。

皆さん、日本について恨みがましいことは全く口にされていなかったけれど、朝鮮戦争ベトナム戦争、まさしく冷戦の矢面に立たされ続けた人生であり、その間、ぬくぬくと高度成長に浸っていられた日本人に良い感情を持つのは難しいような気もします。