メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

キム・ドゥギョンさん/イランに行った韓国の人たち

 韓国からベトナムとイランを経てトルコへ渡って来たキム・ドゥギョンさん。

キム・ドゥギョンさんがどうしていらっしゃるのか気になったので、韓国の方に御消息を尋ねてみようと、今日、市内のタクシムにある韓国料理店“Gaya Restaurant”へ行ってきました。

このレストランは、私が91年のイズミル以来、とてもお世話になっているキム・サンジンさんとイ・ヨンヒさんの御夫婦が経営しています。こちらのキムさんは私より少し年上で、もともと、韓国の大手家電メーカーがトルコの会社と合弁でイズミル近郊に設立した現地法人の副社長として赴任しましたが、その後、社を辞してトルコへの半ば永住を決意したのです。

奥さんのイ・ヨンヒさんは私と同い年で、如何にも韓国の人らしい率直な朗らかさの中に、何処となく育ちの良さが感じられます。今日の昼過ぎ、私が連絡もせず、久しぶりにレストランへ立ち寄ったところ、何だかとても喜んでくれて、「食事未だでしょう? さあ、今日は何か食べて行きなさい」とビビンバをご馳走してくれました。いつもこうやって世話になりっぱなしです。

食事が済んでから、キム・ドゥギョンさんについて尋ねると、少し驚いたように「えっ、知らなかったの?」と私の表情を窺いました。

「亡くなりましたよ。もう2年ぐらいになるんじゃないかしら?」

3年ほど前に、私が息子さんと会ってから、いくらも経たない頃のようでした。よく解らないけれど、結局、日本へは行かずじまいだったのではないでしょうか。私にもっと甲斐性があれば、日本へ御案内できたのにと思い、とても残念です。

それから、イ・ヨンヒさんに、韓国の人たちがイランへ行った理由を訊いてみました。

「革命前のイランは、とても商売になったからでしょう。あの頃は、建設や土木工事のプロジェクトが多くて、現場労働者も韓国から大勢行ってましたよ。ほら、イズミルにいたキムチのおばあちゃん知らない?」

「キムチのおばあちゃん?」

「ハンさんの韓国料理屋にも良く来ていたのにね。会わなかったかしら。あのおばさん、トルコに来る前は、イランでキムチ売っていたのよ。それから、貴方も良く知っているでしょう? イスタンブールで旅行会社やっているユンさん。彼もイランからトルコへ来たの。イランでは韓国のテレビ番組のビデオを貸し出したりしていたそうですね。革命以降、出稼ぎの労働者たちはビデオ見るぐらいしか娯楽がなかったから」。

70年代~80年代の韓国は、中東のアラブ諸国で建設工事のプロジェクトを受注すると、労働者も韓国から送り込んだため、出稼ぎを志願する韓国の男たちは、アラブ諸国が出すビザの発給を容易にしようと、こぞってイスラムに改宗したという話は聞いていたけれど、これは何もアラブ諸国に限った状況ではなかったようです。