メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2019-01-01から1年間の記事一覧

トルコのNATO離脱?

スポーツの世界では、ボクシングのようにお互いの身体を痛めつけ合う競技であっても、試合が終われば健闘を称え合って抱擁を交わしたりする。 そういった経験のない私には解り難いけれど、人は死闘を繰り広げることで友情に近い気持ちを懐けるようになるのだ…

韓国の不正と文明/ラテン気質?

最近、韓国の法相に任命された曹国氏の不正が話題になっているけれど、これで私は1997年の韓国大統領選挙にまつわる話を思い出した。 あの選挙戦の最中でも、与党候補の李会昌氏が子息の兵役を不正に回避させていたことが発覚して、大きな話題になってい…

韓国の厳しい名分論

韓国は1945年に独立した時点で既に分割された状態だった。しかし、朝鮮戦争の悲劇を経た後、60年代以降に飛躍的な発展を遂げて現在に至っている。 韓国国内に軍事基地を有する「同盟国」のアメリカは、ここでも抑圧的な態度で疎まれているものの、韓国…

トルコの厳しい現実

イスタンブールの正式な名称は、20世紀の初頭に至るまで「コンスタンティニイェ」だった。当時は、市の人口の半数近くをギリシャ正教徒やユダヤ人のような非イスラム教徒が占めていて、コスモポリス的な雰囲気が漂っていたそうである。 現在は、その殆どが…

どちらが裏切ったのか?

トルコでは、アブドゥルラー・ギュル前大統領やアリ・ババジャン元副首相といったAKPの重鎮らによる新党結成がいよいよ実現するらしい。 エルドアン大統領は、これを裏切り行為であると詰りつけているけれど、どうなんだろう? AKPは、当初、「軍の影…

韓国歌謡「만남-マンナム(出会い)」

私は韓国語を学ぶために1987年の7月から1989年の正月までソウルに滞在していた。(帰国したのは昭和64年の1月7日だった!) その頃韓国でヒットした歌のいくつかは今でも良く聴いている。韓国語の歌詞を覚えていて口ずさんだりする歌もある。 …

博多の韓国?/ネパールでもK-POP

博多駅の近くに「あぷろ」という韓国料理屋がある。ハングルで記された看板がひときわ目立っていて、一年半ぐらい前から気になって仕方がなかったけれど、なかなか訪れる機会がなかった。というのも、外から見える席に座っているのは、いつ見ても若い女性客…

イスラムの犠牲祭

昨日からイスラムの犠牲祭が始まっている。イスラムの暦は、太陽暦のグレゴリオ暦とは毎年11日ずつずれて行くので、クリスマス期と重なることもあれば、今年のように真夏に始まることもある。 トルコにいた頃と異なり、昨年も一昨年も犠牲祭は、意識する間…

就学生たちの将来性

配送センターで働くネパール人就学生の中には、一昨年の11月に私が働き始めた頃からの顔ぶれも僅かながら残っている。 彼らは仕事を堅実に続けるくらいだから、学業の方も疎かにしないのだろう。皆、とても日本語が巧くなっている。 やはり、作業に手を抜…

ネパール人就学生らの手抜き作業

一昨年の11月、私が送迎車の運転手として、配送センターで作業もするようになった頃は、真面目に頑張るネパール人就学生がもっと多かった。 配送センターへ就学生の派遣が始まったのは、その半年ほど前で、当初は配送センターの管理者の方たちが手取り足取…

時間に遅れても悠然と歩いて来るネパール人就学生

30年前、韓国企業の日本支店に勤務していた頃、来日した韓国本社の一行が宿泊しているホテルのロビーで、日本の取引先の人たちと待ち合わせると、いつも本社の一行が時間になってもロビーに下りて来ないので困った。日本の人たちは、30分ぐらい前からホ…

トルコの人々を悩ませてきたのは・・・・

「メルハバ通信」の記事を書き始めた18年前、トルコでは政教分離の世俗主義とイスラム主義の対立が問題になっていた。日本でも、トルコのイスラム主義勢力が台頭して、イランのような「イスラム革命」が起きるのではないかと論じられたりしていた。 私は、…

メルハバ通信

このブログは、2004年から今年の5月まで続けて来た「メルハバ通信」というホームページの「トルコ便り」を引き継いで始められた。 ホームページの中で『メルハバ通信』として掲載された駄文の多くは、もともと2001年頃から2003年にかけて、数人…

皆で汗を流す日本の現場

配送センターには、「特別運行便」と呼ばれるトラックも入ってくる。これは荷下ろしを運転手が行わない契約になっているトラックで、荷下ろしは配送センターの作業員に任されている。 先日、「特別運行便」の荷物をネパール人就学生と二人で下ろし始めたとこ…

スリランカ人就学生の謝罪

配送センターでは忙しくなれば管理者の方たちも作業を手伝ってくれる。特に、私たちが働く部署のトップの方は、67歳という年齢にもかかわらず、一人で大型トラックの荷台に乗り込み、もの凄い勢いで満載の荷物を片付けてしまったりする。 一昨年、初めてこ…

米中の対決?

「安全靴など履いていたら、労働者みたいでみっともない」と言い放ったヒンズー・インド人の就学生、彼はインドの日系企業でエンジニアとして働いていたそうである。 そのため、日本的な「労働の美徳」については理解があるのか、配送センターでは一生懸命汗…

「ワインを飲むイスラム」と「イスラムのモディ首相」?

配送センターで働くムスリム・インド人就学生のサイードさんが、トルコ企業の社員となっている弟さんに電話して、イスタンブールの市長選挙などについて訊いたそうだ。 ギュレン教団系の学校でトルコ語を学んだという弟さんは、兄と同じく信仰に篤いムスリム…

「労働者みたいでみっともない!」

配送センターでは、ネパール人やベトナム人の就学生らが働いているけれど、管理者の方たちの話を聞くと、どうやらベトナム人就学生の評価が高いようである。 もちろん、ネパール人就学生の中にも一生懸命働く人はいるし、少々怠慢なベトナム人就学生もいる。…

イスタンブール再選挙の結果

再選挙でもAKPとMHPの連合に勝ち目はないように思われていたが、これほどの差がつくとは思わなかった。明日以降、様々な論評がコラム記事に出るだろう。 今日のコラム記事で、ヒュリエト紙のヤルチュン・バイェル氏は、この選挙で政治的に深い痛手を負…

餃子の王将

週末のお楽しみは、先週も昨晩も博多駅近くの「餃子の王将」だった。最近は週末に出歩くことさえ少なくなったが、出歩いたとしても、せいぜい博多駅辺りまでで、ビールを飲みながら餃子を食べて帰ってくるのが唯一の息抜きになってしまった。 「餃子の王将」…

戦争と宗教(トルコの軍~インドの軍)

2001年の5月、イスタンブールにあるロシア正教会の教会を訪れ、ロシア人司祭の話を伺ったところ、この司祭さんはロシアの歴史上の人物としてスターリンを高く評価し、フルシチョフに対しては批判的だったので驚いた。 スターリンは「大祖国戦争」が始ま…

ドウ・ペリンチェク氏の革命?

先週、トルコの友人に電話して近況を訊いた。CHPを支持する左派アタテュルク主義者の友人は、エクレム・イマムオール氏が再選挙でも勝利して再びイスタンブール市長に就任し、2年後には大統領になると息巻いていた。 友人は左派の一般的な傾向と同様、イ…

オジャラン氏のメッセージ・・・

最近の週末は、部屋に籠ったままネットでトルコの新聞記事を拾い読みして、ここに駄文を書いたりするだけで終わってしまう。何だか何処で暮らしているのか解らなくなる。しかし、やはりトルコのニュースは気になって仕方がない。 先週は、イムラル島の特別な…

イスタンブールで再選挙!

結局、イスタンブールでは、6月23日に再選挙が行われることになってしまった。 選管が3月31日の選挙を無効としたのは、「各投票箱を管理する委員長は公務員でなければならない」という新規の法律が厳密に守られておらず、31124個の投票箱の内、225個…

続・イスタンブールで再選挙?

イスタンブールの再選挙等の問題について、良く記事を読んでいなかったため、私はなんだか勘違いしていた。エクレム・イマムオール氏は既に就任してイスタンブール知事としての活動を始めているものの、選管も不正云々に関する調査を続けており、結果によっ…

イスタンブールで再選挙?

トルコの地方選挙、CHPのエクレム・イマムオール氏が僅差で制したイスタンブールの結果を巡って、AKPが一部集計の見直しを選管に要求するなどして、すったもんだが続いていたようだけれど、再集計によってもイマムオール氏の得票が上回り、当選が確定…

アタテュルク~エルドアン大統領

1920年、オスマン帝国がセーヴル条約を締結すると、ムスタファ・ケマル(後のアタテュルク)を中心とする有志軍人らは、これに反対して救国戦争(または独立戦争)を戦い、西欧と新たにローザンヌ条約を締結、トルコ共和国という国民国家を樹立する。セ…

トルコの地方選挙・クルド人の動向

4月3日付けハベルテュルク紙のコラムで、ハッキャリ県出身のクルド人ジャーナリストであるムフスィン・クズルカヤ氏が、今回の選挙におけるクルド人の動向を説明していた。要約すると以下のようになる。1990年代、トルコ政府は、PKKの温床になってい…

トルコの地方選挙・トルコ共産党

南東部のクルド地域で、イル(県)の下の行政単位であるイルチェ(郡)の選挙結果を見ると、結構、重要なイルチェ(郡)をAKPが取っていたりする。例えば、イランとイラクの国境に接し、PKKとの武力衝突が頻発していたハッキャリ県のシェムディンリ郡…

トルコの地方選挙・続

エルドアン大統領は、選挙の結果を受けて、次のように述べたそうだ。「明朝より、我々に何が不足していたのか検証し、これを補う作業に取り掛かります。何が起ころうと、その中に良いこともあるのです。これが民主主義の闘いでしょう」選挙中に過激な発言を…