メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2017-01-01から1年間の記事一覧

単なるロマンティズム?/ギュレン教団に対する捜査の怪

2015年頃までのトルコの独自外交を主導していたのは、当時のアフメット・ダヴトオウル首相ではなかったのかと言われている。元軍人のジャーナリストであるエロル・ミュテルジムレル氏は、その外交政策を批判して、「単なるロマンティズムで、何のリアリ…

ハングル

先月、イスタンブールのアパートを引き払って来る際、辞書の類は全て処分してしまった。トルコ語も日本語も辞書はネットで引くようになり、紙の辞書は殆ど使っていなかったのである。しかし、ハングルだけは、紙の辞書で調べることもあった。ハングルのキー…

エルドアン大統領はリベラル?

3月から4月にかけて、イスタンブールの街角で、何度か偶然に、暫く会っていなかった友人や知り合いと出会った。イスタンブールを飛び立つ直前の20日、7~8年も音沙汰がなかった友人とばったり顔を合わせた時は、『イスタンブールも見納めだから、最後…

トルコ人のイスラム教徒としてのアイデンティティー

クリスチャンのアルメニア人であるエティエン・マフチュプヤン氏は、「マイノリティの最も真実的な試験」と題したコラム記事(2014年8月24日付けアクシャム紙)で、自身のようなトルコのマイノリティ(ユダヤ人・キリスト教徒など非イスラム教徒のト…

「学問のすすめ」私立の精神

「学問のすすめ」では、官の主導に頼らない私立の精神が、最も重要な課題の一つとして説かれていたように思う。トルコの共和国革命も、日本の明治維新と同様、官の主導による「上からの改革」だったと言われているが、当時のトルコに、私立の重要性を説いた…

学問のすすめ

福沢諭吉の著作をいくつか読んでみようと思い立ったのが14年前、以来、「文明論之概略」と「福翁自伝」は何とか読んだものの、「学問のすすめ」にはなかなか手がつかなかった。やっとそれを、帰国の際に立ち寄ったモスクワの空港で読み始め、先週、ようや…

トルコのニュース

インターネットでトルコのニュースを追おうとしているけれど、もちろん、イスタンブールにいた頃のようには行かない。時間も限られているし、なにより、気軽にトルコの人たちから話を聞けなくなってしまったのが残念だ。興味深いニュースとしては、CHPの…

屋久島で見るイスタンブールの夢

今朝、なんとも嫌な夢を見て目が覚めた。イスタンブールの空港で飛行機に乗り遅れたら、その飛行機が墜落してしまい、友人や家族に無事を知らせようとしたものの、インターネットに接続できるところが見つからず、焦っている内に目が覚めたのである。この夢…

屋久島一周/イスラエル人のカップル

日曜日(4月30日)の島内ドライブは、屋久島一周を目指して出発した。「大川の滝」を後にして、島の西側を北上し始めると、間もなく「西部林道」という、森の中の狭い道に入る。ここからは、北部の永田に至るまで集落もなく、バスのような公共の交通機関…

屋久島/大川の滝

昨日の日曜日(4月30日)、屋久島は快晴だった。一週間前に到着して以来、雨や曇りの日が続き、きれいに晴れ渡ったのは、昨日が初めてだったような気がする。だからというわけでもないが、姉の軽トラで、母と島内のドライブに出かけてみた。まず、島の西…

エルドアンによる独裁化?

多分、12~3年前、ラディカル紙のテュルケル・アルカン氏のコラムで読んだ話じゃないかと思う。ドイツのある街で、交通信号の一つが「赤」のまま変わらなくなってしまった。ドライバーの多くは、信号機の故障に気が付いて、ゆっくり前進し始めたものの、…

シェレメーチエヴォ空港で出会ったトルコの人たち

帰国途中の22日、モスクワのシェレメーチエヴォ空港で、2人連れのトルコ人と出会った。ユスフさんとフルシットさん。彼らは、日本からトルコへ帰国する途中だそうである。両人ともガズィアンテプ県の出身、エスニック的にはクルド人であり、この17~18…

屋久島

22日に帰国して、23日、母と姉の暮らす屋久島に着いた。母と姉は、昨年の5月に屋久島へ引っ越し、今月には新居が完成している。姉は新居の周囲で、野菜や果実を作る計画であり、6月までは、私に出来るような作業も結構あるらしい。その後は、屋久島の…

イエニドアン撤収作戦

5年半暮らしたイエニドアンのアパートをいよいよ引き払うことになったけれど、最後の片づけ作業は、写真屋のメフメットさんがトラックで駆けつけてくれて、あっと言う間に済んだ。メフメットさんばかりではなく、これまで何かと面倒を見てくれた隣近所の人…

国民投票の結果

国民投票の結果について、少し周囲の人たちの見解を聞いてみた。 まず、スザンナさんは、票差が僅かだったことを残念がっていた。圧倒的な大差で反エルドアン派を黙らせたかったらしい。 一方、保守的なムスリムである近所の家電修理屋さんは、「余り大差が…

憲法改正の国民投票

この10年来、私のトルコ暮らしは、経済的に綱渡りの連続だったけれど、とうとう綱から落ちる時が来たようだ。最近は、ドラマ等のエキストラ出演ぐらいしか仕事がなく、これも月々の家賃を何とか捻出できるぐらいにしかならなかった。このままでは、とても…

ルレブルガス~ハヴサ

昨日、今日と一泊二日の小旅行で、トラキア地方のルレブルガスとハヴサに、友人のムスタファとムジャイを訪ねて来た。 考えて見たら、ルレブルガス~ハヴサを訪れたのは、2011年の8月に、母と旅行して以来、実に5年半ぶりだった。 2013年9月、ム…

トルコのイケメン塩ふりシェフ

最近、日本で「トルコのイケメン塩ふりシェフ」というのが話題になっているらしい。料理に塩を振るシェフの姿が格好良いそうだけれど、あのシェフ、そんなにイケメンだろうか?トルコに、ああいう風貌の気障な男なら、それこそ掃いて捨てるほどいるような気…

「7月15日クーデター」の司令塔?

「7月15日クーデター事件」で司令塔の役割を果たしていたのは、アディル・オクスズというギュレン教団系の宗教学者ではないかと言われてきた。 オクスズは、事件発生の翌日、アンカラの空軍基地付近で身柄を拘束されたものの、クーデターには加わっていな…

民族自殺?

北朝鮮の建国者である金日成が、1945年の9月、ソビエト軍と共に帰国するまでの前半生は、あまり明らかになっていないらしい。そのため、かつて韓国政府は、北朝鮮をソビエトの傀儡政権と見做して、「北傀」と呼んだりしていた。しかし、韓国で初代大統…

トルコを取り巻くテロの脅威

トルコの多くの人たちが、欧米に対して激しく憤っている最も大きな要因は、PKKやギュレン教団といったテロ組織が、欧米で相変わらず庇護されている状況にあるのではないかと思う。先日、スイスのベルンでは、公然とPKK支持者らがデモを行い、「エルド…

クルド問題とAKPのジレンマ

憲法改正の国民投票で、AKPとMHPの票が集まった場合、軽く60%を超えてもおかしくないけれど、MHPからは相当な離反票が出るのではないかと言われている。一方、AKP側にも、賛否を未だ決めかねている支持者は少なくないらしい。また、南東部で…

エルドアン大統領のナチス発言

ドイツ政府をナチス呼ばわりしたエルドアン大統領の発言には、支持派の識者の中からも「ナチスが何を意味するのか解っているのか?」という批判の声が上がっている。昨日、ニュース専門局“CNNトルコ”でインタビューに応じたエルドアン大統領は、これに対…

分断国家の研究/ソウルの中国人旅行者

1987年~88年にかけて、韓国語を学んでいたソウルの延世大学語学堂で、初級クラスの頃じゃなかったかと思うが、同じ教室に若いドイツ人の女性がいた。なんでも、分断国家の研究をしていたそうで、韓国へ来る前には、台湾と中華人民共和国でも研究に携…

ドイツに対する危惧

また性懲りもなく勝手な無駄話を続けてしまったけれど、ある程度は真面目に考えて書いていた。何と言っても、20世紀から現在まで、堂々と突っ張って、そのまま押し通せた国は、アメリカ以外になかったはずだ。やはり日本は、歴史と現実の状況に、少し怯え…

堂々としたドイツと屈折した日本?

先日、トルコのニュース専門局の討論番組で、ある識者が次のように語っていた。「EUに合理性をもたらしていたのはイギリスだった。そのイギリスが抜けてしまった後には、ドイツの民族主義的なロマンティズムだけが残った。これから、EUは大変なことにな…

悪い政治家

昭恵夫人はともかく、さすがに安倍首相は、長い政治活動の中で、胡散臭い奴をたくさん見てきただろうから、直感もかなり働くんじゃないかと思うけれど、なんとなく、育ちの良さに由来する“人の好さ”が感じられて仕方がない。もちろん、育ちが良くても阿漕な…

ファーストレディ

1991年にトルコへ来てから、5人の大統領が就任しているけれど、各大統領夫人の顔は、今でも全て思い浮かべることができる。*訂正:オザル大統領は、89年から在任中だったので、91年以降に就任したのは4人の大統領。積極的な言動で、常に注目を集…

外国人ジャーナリストが見たイスタンブール

2006年の8月、イスタンブール市の文化局が、「外国人ジャーナリストの見たイスタンブール」という本を出版している。この本は、22人の外国人から寄せられた「イスタンブールの印象記」をもとに編集されていて、その22人の中に、どういうわけか私の…

ミクシー

(3月16日) ミクシーに加入したのは、2006年の12月だから、以来、既に10年になる。その後、フェイスブックやらツイッターにも加入したけれど、私にとって最も有効なSNSは、ミクシーだったような気がする。 一時期は、本欄の駄文をミクシー日…