メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

憲法改正の国民投票

この10年来、私のトルコ暮らしは、経済的に綱渡りの連続だったけれど、とうとう綱から落ちる時が来たようだ。
最近は、ドラマ等のエキストラ出演ぐらいしか仕事がなく、これも月々の家賃を何とか捻出できるぐらいにしかならなかった。このままでは、とてもやって行けないため、アパートを引き払って、一旦、日本へ帰国する。
国民投票の方は、辛くも綱を渡り切ったので、今後の展開に期待したいところだが、渡り切れなかった私は、その展開を見届けることもなく、撤退しなければならない。
しかし、インターネットで、ある程度はトルコの状況を追える時代になったから、頻度は大分減るだろうけれど、帰国後も“トルコ便り”を書き続けたいと思う。
先週、トラキア地方の友人たちを訪ねて来た背景にも、こういう事情があったのである。出来ればイズミルにも行きたかったが、とてもそんな余裕はなかった。
考えて見たら、昨年は、姉が手配してくれたお陰で、4~5月に一時帰国を果たしているものの、それ以外は一歩もイスタンブールから出ていない。市内を移動するだけでも、交通費が高く感じられたくらいだ。
そのため、つい出不精になり、呼び出されても断ったりしたため、怒り出す友人もいた。
ルムのスザンナさんもその1人で、さすがに帰国する前のイースターには、何処かで会って挨拶しなければと思い、先週、連絡したところ、「イースターの日は国民投票と重なって忙しい」と言われ、翌日にボスタンジュまで出かけて会って来た。
≪ルムとは「ローマ人」のことであり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国ギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫
電話口でも力説していたけれど、顔を合わせるなり、スザンナさんは、珍しく国民投票に絡めて熱く政治を語り始めた。彼女は、「何としても改憲派に勝ってもらわなければ、我々はこの国で暮らせなくなってしまう」と言うのである。
これはスザンナさんの個人的な考えというより、ルムの人たち全般に見られる主張であるのかもしれない。多くのルムが2007年以降、エルドアンを支持しているという。
エルドアン大統領は、かねてより、「ギリシャへ渡ったルムの帰還」や「ギリシャ正教神学校の再開」に熱意を見せてきたからである。↓

昨年は経済苦のため、ついに参加を断念したけれど、それまで毎年のように参加していた「ボズジャ島のホメロスを読む会」に、スザンナさんも一度参加したことがあった。

ホメロスを読む会」は、この2014年度で、13回目になるものの、ギリシャ語のホメロスが読誦されたのは、始まって間もない頃の2~3回だけというから、皆がスザンナさんのギリシャ語に喜んでくれるかと思ったら、そうでもなかった。
スザンナさんは、「あの冷淡な態度は何なのよ! 呼ばれたって2度と来るものか!」と息巻いていたが、私も「ギリシャ語」への関心の低さに驚いた。
「読む会」に参加しているトルコ人は、ほぼ例外なく、反エルドアンの西欧的な人たちであるけれど、やはり2007年辺りから、彼らとエルドアンを支持するルムとの間には隙間風が吹いていたのかもしれない。
AKP政権党の議員であるアルメニア人のマルカル・エサヤン氏は、昨年だったか、西欧的なトルコの知識人らに対して、「かつて彼らは、我々マイノリティーの良き友人であったのに、ある日、突然ファシストになってしまった」と辛辣な言葉を述べていた。