メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

堂々としたドイツと屈折した日本?

先日、トルコのニュース専門局の討論番組で、ある識者が次のように語っていた。
「EUに合理性をもたらしていたのはイギリスだった。そのイギリスが抜けてしまった後には、ドイツの民族主義的なロマンティズムだけが残った。これから、EUは大変なことになる・・・」
民族主義的なロマンティズム」と言われても、私には良く解らないが、歴史をざっと眺めただけでも、ドイツという国には、私たち日本人が想像もつかない強い精神と熱情が潜んでいるのではないかと思ってしまう。
例えば、第一次世界大戦で叩きのめされてから、僅か21年後に、また華々しく世界へ挑みかかっている。
全てをナチスヒトラーの所為にしているけれど、多くの人々が、『よし、もう一度戦ってやろう』と決意を固めていたように思える。そして、ドイツの軍人たちは最後まで勇敢に戦った。
私たち日本人には、とてもあれほどの勇気や根性はなさそうだ。太平洋戦争でどかんとやられたら、たちまち意気消沈して、未だに回復していないような有様である。
現在、憲法を改正して「自衛隊を戦える軍隊に・・・」というのも、『今度は中国にやられる恐怖』の現れであって、再び東洋に覇を唱えるなんて妄想は何処にもないと思う。
それどころか、『もう大陸と関わり合うのはたくさんだ』という後悔を未だに引きずっているような気がする。
ところが、ドイツを見ると、いじけたり怯んだりせずに、EUの中心的な存在になろうとして、冷戦終結以降、着々と歩んできたのではないか? その堂々とした態度は感嘆に値するが、考えようによっては、ちょっと恐ろしい。
そもそも、日本の歴史を振り返ってみると、明治維新でさえ、黒船にビビッたから実現したようなもので、それほど堂々とした革命とは言い難い。
日露戦争に勝って、なんだか堂々とした気風をものにしたけれど、あれが正しく間違いの始まりだった。ひょっとすると、日本にとっては、少しビビッて屈折しているぐらいがちょうど良いのかもしれない。
私は英語が解らないひがみで、欧米の教養を身に着けた石原慎太郎のような知識人をやたらに毛嫌いしてきたものの、それでは変な国粋主義に行きつくだけだ。
幸い日本と中国は、地続きになっているわけじゃない、ビビッても、国防力を高めて、少しは余裕を見せることができる。韓国のように、180度屈折して、頭がどちらへ向いているのか解らなくなってしまう心配もない。
韓国は恨みをエネルギーに変えたが、私らは怖れをエネルギーにする。その過程で、あまり卑屈にならぬよう、意地と体裁、国威発揚は、保守の知識人たちが繕ってくれるに違いない。
明治維新を実現させて、欧米にビビりながら、その文明を吸収して富国強兵を成し遂げ、彼らとの友好にも努めたのだから、今度は、中国相手にそれをやれば良いのではないだろうか?