メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアンによる独裁化?

多分、12~3年前、ラディカル紙のテュルケル・アルカン氏のコラムで読んだ話じゃないかと思う。
ドイツのある街で、交通信号の一つが「赤」のまま変わらなくなってしまった。ドライバーの多くは、信号機の故障に気が付いて、ゆっくり前進し始めたものの、バスが一台、全く動こうとしない。
警察官がやって来て、前進するように促しても、バスの運転手は、「交通法規を守らなければならない」と頑張って、なかなか言うことを聞かなかったそうだ。
コラムの筆者は、この出来事を紹介してから、「我が国にも、色んな種類の馬鹿がいるけれど、この手の馬鹿だけは絶対にいない」と断じていた。
イスタンブールを立つ数日前、トルコ人の友人と雑談していて、この話を思い出した。
友人は、第一野党CHPの支持者で、改憲大統領制にも反対していたが、西欧で高まっている「エルドアンによる独裁化」という説は、一笑に付していた。
「トルコは、独裁が可能な国じゃない。オスマン帝国にも独裁はなかった。ドイツのような国とは違う」と言うのである。
確かに、「一糸乱れぬ」といった統制が、トルコの社会で実現できるようにも思えない。トルコでは、皆が方角を定めて歩き出しても、暫くすれば、必ず何人か、違う方角へ歩いて行きそうな気がする。
とはいえ、オスマン帝国が、600年以上続いたのは、皇帝の独裁によらないシステムが確立されていたからだとも論じられている。そういったシステムに基づく統制は、共和国にも受け継がれていたのではないだろうか。
長い間、大統領には、軍出身者が就任して、拒否権等の権限により、民選の首相を制御しようとしただけでなく、軍事クーデターで介入することもあった。システムの意向に沿わない政党は、司法の力で解党されたりもした。
エルドアン大統領とAKPは、このシステムに対して、民意を反映させる政治を目指して来たはずである。ところが、今回の改憲では、大統領府がシステムを受け継いでしまっただけではないかという批判が絶えない。
トルコの各県には、民選の知事の他、ヴァリという官選の知事も併存している。かつてAKPでは、地方自治の拡大により、このヴァリ制度の撤廃も議論されていたものの、今回は議題にも上がらなかったようである。
しかし、南東部クルド地域の各県で、反政府武装組織PKKに、民選の知事が協力していたのではないかという状況を見れば、当面、ヴァリ制度を撤廃するわけには行かないだろう。
機が熟せば、さらに民主的な改憲を行うことも出来るのだから、暫くは経過を見るよりないかもしれない。その間に独裁化が進んでしまうといった危惧は、CHP支持の友人も一笑に付したように殆どないと思う。