メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ハングル

先月、イスタンブールのアパートを引き払って来る際、辞書の類は全て処分してしまった。トルコ語も日本語も辞書はネットで引くようになり、紙の辞書は殆ど使っていなかったのである。
しかし、ハングルだけは、紙の辞書で調べることもあった。ハングルのキー位置が未だに覚えられず、机の前に貼り付けてある「キー位置表」を見ながら打つのが億劫だったからだ。
それで、最後に部屋を掃除して、「キー位置表」を壁から剥がすと、これもスーツケースの中に収めて持って帰って来たけれど、本当はキー位置を早く覚えてしまうべきに違いない。
ハングルは基本の字数が少ないうえ、キーが合理的に配置されていて、非常に覚えやすい。
子音は左側、母音は右側という配置になっているから、常に、左手で子音、右手で母音を打てば良く、韓国の人たちは、凄まじい早さでキーを叩いている。
まるで、600年前にパソコンの出現を予測して、世宗大王がハングルを考案したかのようだ。ひょっとすると、既にそういう都市伝説が作られているかもしれない。
ところで、帰国して、韓国は距離的にも一層近くなったものの、旅行に行ける経済的な余裕なんて、いつになったら出来るのだろう? 仕事で行ければ素晴らしいが、もちろん、そんな巧い話があるわけない。
韓国へ行けるのなら、戦争のリスクなど、考えても仕方がない。韓国の人たちは、今日も普通に生活している。交通事故のリスクと比べても、規模が違うだけで、一人一人が直面してしまう確率は少ないくらいじゃないかと思う。
韓国と言えば、2014年に亡くなった岡崎久彦氏の名著「隣の国で考えたこと」を、先週、読み返してみた。最初に読んでから、既に30年が過ぎ、様々な状況の変化があるとはいえ、今でも、岡崎氏が心配した「日本人の韓国に対する無知」は余り変わっていないような気もする。

f:id:makoton1960:20190609093140j:plain