メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ドイツに対する危惧

また性懲りもなく勝手な無駄話を続けてしまったけれど、ある程度は真面目に考えて書いていた。
何と言っても、20世紀から現在まで、堂々と突っ張って、そのまま押し通せた国は、アメリカ以外になかったはずだ。
やはり日本は、歴史と現実の状況に、少し怯えているくらいがちょうど良いのではないか? “堂々とした平和国家”などという幻想も止めてもらいたいと思う。
トルコの識者らが指摘した“ドイツに対する危惧”も、「妄想」とは言えないだろう。
100万~200万の人口しかない前近代的な社会ならいざ知らず、ドイツほどの歴史と規模を持つ社会が、「1人の独裁者によって侵略戦争を引き起こした」という物語を何の疑いもなく信じるのは難しい。
全体主義的な体制を招いてしまった社会の体質であるとか、人々を戦争に駆り立てた“熱情”といった要因はなかったのだろうか? 
私は、ベートーヴェンブラームス交響曲をいくつか聴いただけでも、その熱情に痺れてしまう。しかも、決して乱れていない、非常に秩序立った熱情である。あれはちょっと恐いような気もする。
ルネサンスの時代から、日本に西洋音楽が伝えられていたとしても、ああいう名曲は作り出せなかっただろう。トルコでも不可能だったに違いない。あれほどの熱情や秩序とは縁がなさそうである。

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2月、エキストラに駆り出された「トルコ・韓国合作映画」の「1951年頃の東京のセット」で、先週の土曜日、夜のシーンが撮影された。
米兵を演じていた“トルコ人”青年とも再会したが、実はこの青年、グルジアトビリシで生まれ育ったアゼリー人であるという。
アゼリー人の学校に通っていたため、グルジア語は余り話せないそうだが、まあ色んな人がいるものだと驚いた。

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