メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2014-01-01から1年間の記事一覧

トルコの人たちと携帯電話

バスの車内のカップルには驚かされたが、その前の日だったか、バスの横を走っていたオートバイの運転手のパフォーマンスもなかなか見事だった。あの日も、バスの最後尾の窓際に座って、ぼんやり窓の外を眺めていた。バスは高速道路を走行中で、窓の向こうに…

バスの車内の際どいパフォーマンス

先日、市バスの車内が空いているのを良いことに、若いカップルがちょっと際どいパフォーマンスを繰り広げていた。夜勤へ行く時だから、午後5時過ぎぐらいじゃないかと思う。 イエニサハラで乗って来たカップルは、私が窓際に座っている最後尾の3人掛け席ま…

偽りても賢を学ばんを賢といふべし

偏見はなるべくなくしたいけれど、私のように特に宗教を信じていない人間が、宗教について何か考えても、なかなか公平な見方には至らない。とはいえ、宗教を信じている人たちも、こちらをそれほど公平な視線では見ていないと思う。だから、多少偏見が残るの…

クリミア・メモリアル教会

ヨーロッパ側、ベイオウルのテュネル近くにあるクリミア・メモリアル教会。クリミア戦争を記念して、イギリスの人たちにより、1868年に創建されたという。会衆の減少により、一時期、閉鎖されていた時期もあるそうだが、現在は英国国教会により、日曜日…

沖縄の思い出とラーレリの裁縫工房

昨日、ヨーロッパ側へ渡った帰り、ウスキュダルでバスを待っていると、隣に立っている背の高い男から話しかけられた。30代半ばだろうか? 以前、船員として働いていた頃、何度も日本へ行ったことがあるらしい。黒海地方ギレスンの出身という。笑みをたやさ…

マイノリティの最も真実的な試験

現在、アクシャム紙にコラムを書いているエティエン・マフチュプヤン氏の日曜日の記事「マイノリティの最も真実的な試験」が非常に興味深かったので、後半の部分を以下に拙訳でお伝えします。この記事は、3週間前の「マイノリティの最も真実的な問い」とい…

サンテスプリ(聖霊)教会/バチカン市国領事館

2ヶ月ほど前、オスマンベイからタクシムまで、いつものように表通りではなく、裏道をあちこち曲がりながら歩いていたら、何やら立派な塔が見えてきた。塔の上には十字架が立っている。何処かと思ったら、そこはノートル・ダム・ド・シオン・フランス高校の…

スーパーマーケット“エルジエス2”

先月、ご近所のハジュ(巡礼者)ことムスタファさんが経営するスーパーマーケット“エルジエス2”が、隣の大きなビルに引越して新装開店した。このビルのテナントには、写真屋さんや家電修理屋さんも入っている。 なんで“エルジエス2”と「2」が付くのかと言…

スザンナさんのヌナ(名付け親)

昨日、ビュユック島へ行って来た。「エヴァおばさんに会いに行こう」とスザンナさんに呼ばれたからだ。エヴァさんには、もう4年ぐらい会っていなかったかもしれない。スザンナさんの名付け親だそうである。彼女はこのおばさんを「ヌナ」と呼んでいる。ギリ…

ヒマワリ

ヒマワリと言えば、ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」に出て来た“ロシアのヒマワリ畑”が頭に浮かぶけれど、実際、ヒマワリの生産量はロシアが世界で最も多いらしい。ウィキペディアを見ると、ロシアでヒマワリ生産の増えた理由が、以下のように説明…

韓国の光復節

忘れかけていた韓国語を、また勉強しなおそうと思って、昨年来、無料でインターネットから視聴できるKBSの“9時ニュース”を時々観ていたけれど、この4ヵ月ほどの間、これが大分疎かになっていた。昨日、久しぶりに視聴したら、聴き取りが、また少し衰え…

バル・カイマクは悪魔の誘惑

母にトルコの絶品朝食メニューを是非味わってもらいたいという口実で、先週土曜日の朝は“バル・カイマク(蜂蜜&濃厚クリーム)”だった。私はこれを“悪魔の誘惑”と呼んでいる。そのぐらい美味い、もの凄く美味い。でも、毎朝こんなものを食べていたら、必ず…

お隣さん

母が日本へ帰る前日の晩(8日)、隣のアパートに住んでいる写真屋のメフメットさんに呼ばれて、お茶を御馳走になった。 これはメフメットさんがプロ用のカメラを使って撮った写真。 こちらは高校生の娘さんが、私のデジカメで撮った写真。写りが大分違うの…

ルーメリヒサル~オルタキョイ

昨日、母が日本へ帰った。トルコはこれが5度目になるけれど、アルツハイマーのため、何を見聞しても直ぐに忘れてしまう。それで、とにかく景色が美しい所をテクテク歩くように努めた。お陰で、私も随分日に焼けた。母は元気で、うちからほど遠くないタシュ…

ボズジャ島の賑わい

8月のボズジャ島は、人と車が多く、とても賑やかで驚いた。バイラムの休暇と重なった所為もあるだろう。特に、船着場へ出る石畳の狭い道は、フェリーボートが発着する時間になると、フェリーから降りて来た車と、フェリーに乗る順番を待つ車が行き交い、も…

ボズジャ島“嵐の珍道中”

ボズジャ島の3日間の旅も終わり、昨日、イスタンブールへ帰って来た。今回の旅は、旅に出る2日前から“嵐を呼ぶ女”の登場で、波乱含みの幕開けとなった。“嵐を呼ぶ女”とは、故マリアさんの娘のスザンナさんで、私は彼女に“驚異の天然記念物女”という綽名を…

エルバカン氏~エルドアン氏

トルコで90年か91年頃、テレビ局のスタジオに著名な政治家などを招き、併せて、その人物の親族や友人たちも紹介するという番組があったらしい。当時、イズミルに滞在していた日本人の友人から聞いた話だけれど、友人は、スタジオに招かれたネジメッティ…

大統領候補のセラハッティン・デミルタシュ氏

HDP(人民の民主党)から大統領選に立候補したセラハッティン・デミルタシュ氏は、まだ41歳と若い。4年前には、HDPの前身となったクルド地域政党BDP(平和民主党)で、早くも党の指導的地位に上り詰めている。 しかし、ウイキペディアのトルコ版…

フィッシュ&チップス

先週の金曜日、“ギョズテペ公園”から“クズルトプラク”の辺りまで、あちこち歩き回っていて、“Fish & Chips”という店を見つけた。 その看板は、2年半ぐらい前にも、バスの車窓から見かけたことがあった。あれは、ベイオールにある“ザ・ジェイムズ・ジョイス…

気骨のあるトルコの人たち

トルコはオスマン帝国の末期に、国土が外国勢力から侵食され始めると、国民が一丸となって戦い、外国勢力を駆逐した。救国戦争は、それに先立つ“チャナッカレの戦い”を含めて、10万人以上の戦死者を出しながら勝ち取ったと言われている。 救国戦争を主導し…

姿を見せぬ監視員女性

日本へ一時帰国していた2003年5月のこと、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。 ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか残っていない。どうしようかと考えて、「こうい…

チャルシャンバの保守反動主義者?

ヨーロッパ側のファティフ区にあるチャルシャンバという街へ行くと、頭にターバンを載せ、顎鬚を生やして、ダブダブのズボンをはいた男たちや、黒い布を頭から被り、顔は目と鼻・口が辛うじて見えているだけという女性たちばかりが、やたらと目に付く。彼ら…

国家の敵

90年代、トルコで最も危険な“国家の敵”と言えば、“ボルジュ(分離主義者)”と“ミュルテジ(保守反動主義者)”だった。“ボルジュ(分離主義者)”は、トルコからの分離独立を企てるクルド人勢力などであり、オジャラン氏が率いるPKKは、実際に武力闘争を…

アンカラのウルス

アンカラでは、久しぶりに旧市街ウルスのホテルで一泊した。ユルドゥズというホテルで、一泊50リラ(2500円ぐらい?)、以前に比べたら、少し値上がりしたような気がする。 91年の夏、初めてアンカラへ来た時も、やはりウルスの安宿に泊まった。それ…

朝鮮戦争参戦記念塔

アンカラ駅の近くに、“朝鮮戦争参戦記念塔”というのがある。以前にも、3回ぐらい、その敷地の前を行き過ぎたけれど、いつも門が閉まっていて、中には入れなかった。先週、初めて中へ入ってみると、記念塔の周囲には、ベンチに腰掛けて佇んでいる人の姿もあ…

オスマンジュクの水田風景

先週の水曜日、イスタンブールからサムスンへ行くバスは、ボルを過ぎるまで、イスタンブール-アンカラ間の高速道路を走り、そこから一般国道に下りてサムスンに向かった。国道と言っても、有料じゃないだけで、立体交差が多く、高速道路並みに整備されてい…

高級バスの時代は終わった?

先週の旅、まずイスタンブールからサムスンへ、そしてユンエ~アンカラ~イスタンブールと、長距離の移動は全てバスを使った。イスタンブール~サムスンは、航空機なら1時間ぐらいだが、バスだとほぼ10時間かかる。それでいて、既に料金の差はいくらでも…

ユンエの結婚式・そのまた続き

2年前の長男の結婚式には、長男の大学同期の友人、それから、今回結婚した長女の大学の友人も来ていた。長女は、いずれの青年とも親しいように見えたが、結婚した相手は、そのどちらでもなく、同郷のユンエの青年だった。新郎の青年は普通の銀行員で、イス…

ユンエの結婚式・続き

ユンエで、“クナ・ゲジェスィ”が終わると、ネヴザットさんの家ではなく、近所に新築された豪華マンションの一室に泊まった。そこの住人は、大学教授の家族だそうだが、この日は何処かへ休暇に出かけていて留守だった。2日ほど留守にするだけなのに、鍵をネ…

ユンエの結婚式

先週の水曜日から、5泊6日で、黒海地方のサムスン、ユンエ、そしてアンカラと回って来た。ユンエでは、友人ネヴザットさんの長女の結婚式に参席したけれど、ユンエを訪れたのは、2年前、長男の結婚式に参席して以来だった。↓ その前は、2000年の犠牲…