メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ユンエの結婚式・そのまた続き

2年前の長男の結婚式には、長男の大学同期の友人、それから、今回結婚した長女の大学の友人も来ていた。長女は、いずれの青年とも親しいように見えたが、結婚した相手は、そのどちらでもなく、同郷のユンエの青年だった。
新郎の青年は普通の銀行員で、イスタンブールのオルネックマハーレにある支店に就職したらしい。私がかつて暮らしていたエサット・パシャの近くである。
長男の友人は、なにしろ“アンカラ大学法学部卒”で、“官僚の卵”だったようだから、『あっちのほうが良かったんじゃないのか?』などと、つまらないことを考えてしまったが、まあ“縁”がなかったのだろう。
ネヴザットさんたちも特に“婿自慢”みたいな話はしていなかった。“可もなく不可もなく”といった感じなのかもしれない。ネヴザットさんは、「イズミルの大学出て直ぐに結婚してくれたら良かったのに、卒業してから暫くの間、うちに戻って来ていたんでね。何だか寂しい気がするよ」と話していた。
今回の結婚式に、2年前の青年たちの姿は見えなかったけれど、やはりイズミルの大学の同期生という青年が一人来ていた。
大人しい静かな若者で、結婚式当日の朝、ブルサから夜行バスで駆けつけたそうだが、翌朝、気がつくと、彼の姿はもうなかった。結婚式がお開きになる夜の12時まで待たずに、また夜行バスに乗って帰ってしまったらしい。
ネヴザットさんも、「あの青年が帰ってしまったのを、今朝になって知ったよ。なんだか可哀想なことをした」と悔やんでいた。「娘が招待したから来たんだろう。招待したら、もう少し気を使ってやれば良いのに、あいつも何をやっているんだか・・」と、ネヴザットさんは、長女に文句をつけていたが、結婚式の当事者である本人は、それどころじゃなかったかもしれない。
しかし、本当に口数の少ない控えめな青年だった。結婚式当日の昼過ぎ、私たちが団地の中庭にあるテーブルの周りに座って、雑談に花を咲かせていると、青年は、まるで従者のように、その脇に立ちすくしているのである。
私も何度か、「詰めるからここに座れば良いじゃないですか?」と声をかけたけれど、その度に固辞されてしまった。でも、一度、私がまた下らない冗談を言ったら、腹を抱えて笑ってくれた。その姿を見て、なんだかホッとしたぐらいである。
青年は、何故、わざわざブルサから駆けつけたのだろう? まさか、大学時代、ずっと長女に恋心を懐いていたなんてことがあっただろうか? そうであれば、『ちょっと涙ぐましい話だよなあ』と、また余計なことを考えてしまった。
長女は、男勝りで活発な気性だが、なかなかの美人でもあるから、充分に有り得る話かもしれない。しかし、ああいう青年は、お見合いでもさせないことには、相手が見つからないのではないか、と大先輩である私は思う。
長女は、あの気性で、大学時代もサークルなどを仕切っていたような気がする。あと30年もすれば、祖母やお母さんみたいに、一族をも取り仕切る存在になるのではないか。
でも、その頃には、一族も大分小ぢんまりしたものになっているだろう。ネヴザットさんの所も、長男と長女だけだし、大勢いる兄弟たちを見ても、その子供は2~3人が殆どのようである。