メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

我が街の写真屋さん

我が街の写真屋のメフメットさんは、なかなかの人物じゃないかと思う。2年前にここへ越して来るまで、30年に亘ってイズミル写真屋をやっていたと語っていたので、少なくとも50歳以上だろうと思っていたら、未だ43歳だそうである。
中部アナトリアのトカト県に生まれ、12歳の時に家を出て、一人でイズミルへ働きに行ったと言う。
トカト県の郷里でも写真屋の丁稚をしていて、そのつてで、イズミル写真屋に働き口を見つけたらしい。自分の店を持ったのは、2005年になってからだそうだ。叩き上げの苦労人なのである。
「この業界は何度も激しく変わった。まずスピード現像機が出て来て大きく変わった。それからデジタル化だ。お陰で仕事も少なくなった。そろそろ商売替えしなければならない」と話していたが、トルコでは、結婚式等の派手なアルバムを作ったりする人たちが多いから、それで何とか命脈を保っているのかもしれない。
イズミルでは、カメラマンとしてイエニ・アスル紙に写真を提供しながら、簡単な記事も書いていたという。「新しい工場が稼動を始めたとか、写真だけじゃなくて記事も俺に書かせて済ませていたんだ。新聞記者なんて好い加減なものだよ」
彼の店にも、隣の家電修理屋さんや廃品回収屋さん、スーパー経営のハジュ青年など色んな人たちが寄ってくる。奥さんや高校生の娘さんが店番していることもある。奥さんはきっちりスカーフを被っていて地味な服装だが、娘さんは現代っ子らしい派手な格好をしている。
今日は、私も彼の店に寄って、長々と2人で雑談したけれど、このメフメットさんと話すとなかなか楽しい。良く聞いてみると、それほど単純なトルコ民族主義者でもないようだ。
「この街の連中と来たら、エルドアンに熱狂して、訳も解らずAKPを支持しているんだから困ってしまうよ。うちのもそうだけれど・・・」と言って、横にいる奥さんを指差す。
彼によれば、エルドアン首相は、反対派から独裁者と言われ、支持者たちからは英雄視されているけれど、実際は、裏で方々と静かに話し合って政治を進めているだけらしい。これは、それほど的を外した見方でもないような気がする。
政権寄りの軍人や官僚にしても、“クルド和平のプロセス”など際どい政策を進める上で、エルドアン首相が民衆の広範な支持を得ているのは心強いから、首相の“英雄的な演説”も必要な政治活動と見ているのではないだろうか。
しかし、昨年6月のゲズィ公園騒動に始まった政治闘争を乗り切り、先月の地方選挙をAKPの勝利に導いたエルドアン首相の精力的な動きは、瞠目に値する。不退転の決意を示し、その責務を全うしたと思う。
でも、写真屋のメフメットさんは、「エルドアンほど嘘の巧い役者はいない。いや、俺はエルドアンを褒めているんだよ。政治家は巧い嘘をつくのが仕事だから」などと言いながら笑っていた。