メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

沖縄の思い出とラーレリの裁縫工房

昨日、ヨーロッパ側へ渡った帰り、ウスキュダルでバスを待っていると、隣に立っている背の高い男から話しかけられた。30代半ばだろうか? 以前、船員として働いていた頃、何度も日本へ行ったことがあるらしい。黒海地方ギレスンの出身という。笑みをたやさず、穏やかな口調で話すところに好感が持てた。

日本では、沖縄に5日ほど滞在して、それが非常な思い出となっているようだが、この沖縄の話がどうも良く解らない。

「なにしろ、未だ17歳だったから、僕にとっては凄い冒険でしたよ」とは言うものの、それがどういう“冒険”だったのかは明かそうとしない。ちょっと保守的で生真面目な性格だから、「・・・」なんて話は大っぴらにできないのだろう。

日本人女性との破廉恥な“思い出”を大っぴらに語って喜んでいるスルタンアフメット(観光地)辺りの連中とはえらい違いだった。

現在は、ヨーロッパ側のラーレリで、裁縫工場を経営しているそうだ。住んでいるのは我が家に近い地区みたいだから、ラーレリまで通うのは大変じゃないかと思った。

「従業員はどのくらいいるんですか?」
「100人ぐらい働いていた時もありますが、今は40人ぐらいです」
「ラーレリなら外国との取引きも多いでしょう?」
「ええ、各国に輸出していますよ」

なかなか手広くやっているらしい。それで、「立派なもんですねえ。大社長じゃないですか?」と言ったら、「いやあ、兄弟も含めて家族総出でやっているだけですから・・・」と恥ずかしそうに謙遜していた。

しかし、真面目なこの人には申しわけないが、“ラーレリ”というのが、ちょっと引っ掛かった。海外との取引きを中心にやっている為とは思うが、あの辺りには無認可のゲリラ的な工房も多いような気がする。従業員も殆ど外国人だったりして・・・。40人ぐらいだったり、100人になったりするのも、昼夜交替でやるかどうかの違いだろう。外国人であれば、解雇するのも簡単かもしれない。

15年前、オスマンベイのキムさんの事務所で、韓国製服地の営業をやっていた頃、「服地のサンプルを見たい」という電話があったので、場所を訊いて、こちらから出かけたら、その雑居ビルにはそれらしい看板もなく、何処だか解らず上を見上げていると、4~5階の窓から顔をのぞかせていた男が、『ここへ上がって来い』と合図する。

そこへ上がって見て驚いた。入口にも何ら表示はないから、一見すると普通のアパートの一室ではないかと思ってしまうが、中には所狭しとミシンが置かれていて、40人ぐらいの女性たちが裁縫作業に精を出していたのである。

あそこは、もちろん無認可だったに違いない。もう一度訪れた時も、ドアをがんがん叩いてから、暫くしてやっとドアを開けて招き入れてくれた。

オスマンベイはどうだか解らないが、ラーレリ辺りには、まだああいう工房がたくさんあるのだろう。そして、製品を各国へどんどん輸出している。でも、公の輸出入統計には全く反映されていないかもしれない。雇用統計にも税収にも・・・。