メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

気骨のあるトルコの人たち

トルコはオスマン帝国の末期に、国土が外国勢力から侵食され始めると、国民が一丸となって戦い、外国勢力を駆逐した。救国戦争は、それに先立つ“チャナッカレの戦い”を含めて、10万人以上の戦死者を出しながら勝ち取ったと言われている。

救国戦争を主導したのは、進歩主義的な軍人たちだったかもしれないが、これに従来のイスラム的な知識人らも加わり、多くの保守的な民衆が立ち上がったからこそ、戦い抜くことが出来たのだろう。保守派の論者は、こうして進歩主義者たちや民衆を一つにまとめ上げたところが、アタテュルクの偉大さであったと主張する。

この民衆は、なかなか独立心旺盛な気骨ある人たちだったに違いない。それで、共和国以降も自分たちの伝統的な価値観をそう簡単に変えようとしなかったのではないか。進歩主義者らの改革に、ただ引き摺られるだけでなく、ある時は従い、またある時は抵抗して、共にトルコ共和国の歴史を作ってきたような気がする。

そして、この辺りが、外国の援助によって独立したり、独立後も外国への依存性を絶ち切れていなかったりする「ギリシャやエジプト」とは違うかもしれない。

さて、これは10年ぐらい前に、多分、ザマン紙のコラムで読んだ話だと思うけれど、そのコラムニストが若い頃、ある農村の一家を訪ねたところ、ちょうどラジオから、当時の農村教育の講義が流れて来て、これを聞いた一家の主は息子に、「おい、ラジオを消せ。この人たちは私らをバカにしているんだ」と命じたという。

その農村教育機関は、「キョイ(村)エンスティテュス(インスティテュート)」というモダンな名称で、1940年~1954年まで活動していたそうだ。冷戦が始まると、トルコは西側陣営に与したため、その社会主義的な印象が懸念されて、閉鎖に追い込まれたという説もあるらしい。

一方、コラム記事は、なんでも上から押し付けようとした為に農村教育が失敗したという趣旨であり、「ラジオを消せ・・・」と命じた一家の主には、自主独立の気風があったと論じていた。