メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

中国

武漢/新型コロナウイルス/世界三大料理と変わった食材

武漢で発生した新型ウイルス肺炎の騒ぎ、どれほど危険な状況なのか医学的な専門知識のない私には、入り乱れる情報の是非も判断し難い。 とりあえず普段通り生活しているけれど、幸いなことに今のところ新型はもちろん、インフルエンザにも風邪にも罹っていな…

質素倹約派と贅沢三昧派?

ネパール人就学生らと接していて、もう一つ気になることがあった。平気で食べ物を捨てる人が多いのである。コンビニで買い込んで来たパンや弁当を送迎車の中で食べ、半分近く残してゴミ箱へ入れてしまう者もいた。 あまり「もったいない」という感覚がないよ…

米中の対決?

「安全靴など履いていたら、労働者みたいでみっともない」と言い放ったヒンズー・インド人の就学生、彼はインドの日系企業でエンジニアとして働いていたそうである。 そのため、日本的な「労働の美徳」については理解があるのか、配送センターでは一生懸命汗…

餃子の王将

週末のお楽しみは、先週も昨晩も博多駅近くの「餃子の王将」だった。最近は週末に出歩くことさえ少なくなったが、出歩いたとしても、せいぜい博多駅辺りまでで、ビールを飲みながら餃子を食べて帰ってくるのが唯一の息抜きになってしまった。 「餃子の王将」…

少数民族の問題~西洋の悪い風

少数民族の問題がいつ頃から提起されるようになったのか解らないが、「少数民族」という概念も西欧の産物だったのではないかと思う。その少数民族の問題だが、日本のように殆ど同一の民族から成り立っていた島国の住人はもちろん、大陸でもドイツの人たちは…

ウイグル料理「エペンディ」

先週、送迎のマイクロバスを運転していて、博多駅からほど遠くない宮島交差点の付近で、「ウイグル料理/EPENDI」という看板を見つけた。寮に帰ってから、ネットで検索したところ、ウイグルの人が経営する料理店のようである。それで、早速、昨日の夕飯を食…

分断国家の研究/ソウルの中国人旅行者

1987年~88年にかけて、韓国語を学んでいたソウルの延世大学語学堂で、初級クラスの頃じゃなかったかと思うが、同じ教室に若いドイツ人の女性がいた。なんでも、分断国家の研究をしていたそうで、韓国へ来る前には、台湾と中華人民共和国でも研究に携…

東洋人顔の大集結

「1951年頃の東京」のセットに集まった東洋人顔の面々、モンゴルの人たちの中には、こういった映画等の撮影で、もう何度も会っている顔なじみも少なくない。その多くは留学生だが、モンゴルの学生たちは、欧米や日本にも多数留学しているだろう。本国の…

騎馬民族と中国から始まる夢物語

40年以上前、中学高校の頃、トルコに関心を持ち始めたのは、騎馬民族への興味からだった。井上靖の「蒼き狼」などを読んで、ぼんやりした憧れを懐いていたのである。チンギスハンのモンゴルはもちろん、ヌルハチの後金(清朝)に至るまで、騎馬民族の物語…

ソウルの中国大使館

8月に訪れたソウルで、改築された中華人民共和国大使館の豪勢な佇まいに驚いた。大使館は、ソウルきっての繁華街ミョンドン(明洞)のど真ん中に位置している。私がソウルに留学していた頃は、中華民国(台湾)の大使館だった。実を言うと、私は改築後の豪…

東洋の日本・中国・韓国

一昨日(25日)、全豪オープン女子テニスで、中国の李娜選手が栄冠を手にした。2011年、李娜選手が全仏で優勝して、テニス四大大会の一つを初めて東洋人が制した“快挙”には、テニスのルールさえ良く解っていない私も、大いに感動した。李娜選手が如何…

四海の内は皆兄弟

経済と気持ちの面で余裕のない生活を続けてきた所為か、正月に年賀状を出すのは、もう随分前に止めてしまった。それでも、一昨年ぐらいまでは、メールで新年の挨拶などを少し送ったりしていたが、それも殆ど書かなくなった。だから、私のところへも正月にメ…

水餃子風・・・

昨日、アクサライに出掛け、また別のウイグル料理屋で、水餃子風の一品を食べてみた。“餃子”には、挽肉じゃなくて、少し噛み応えのある細切れ肉が入っていて、なかなか美味かった。この中に、ラグマンの麺を入れれば、“ワンタンメン風”になるんじゃないかと…

歴史認識 : トルコ・中国・日本のトラウマ

5月10日の“通信”で、「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」という1915年の所謂“アルメニア人虐殺”に関する記事を訳してみようと思ったのは、日本でも“歴史認識”が話題になっていたからだ。筆者のマフチュプヤン氏は、毎年のように、この時期…

オスマン帝国の国歌

National Imperial Anthem of Ottoman Empire:"Mecidiye Marşı"(Mecidiye March) 1299 - 1923 オスマン帝国の国歌、私は聴くのも初めてですが、それ以前に国歌の存在自体知りませんでした。壮麗な曲調が、オペラの序曲を思わせるけれど、それもそのはずで、…

ウイグル人の旧友アリムジャンさん

トルコ共和国で、クルドの人々は言語の相違があるとはいえ、他のトルコ国民との間に宗教や文化的違いがそれほど見られない為、充分に共存して行けるのではないかと思います。食文化なども似たり寄ったりで、日本の本土と沖縄の間に見られるような大きな違い…

李白はウイグル人だった

数年前、東京を訪れたトルコの企業経営者4名と地下鉄で表参道へ向かった時のことです。電車が外苑前駅を出発する際、一行の中では最も規模の大きな会社の若い経営者が、ローマ字で記された駅名を私に示しながら、「あれが駅の名前なの? 可笑しいねえ。クル…

福建からイズミルへ、そして東京へ。

今回も中国からトルコにやって来た人の話ですが、私はこの方とトルコで会ったわけではありません。 91年にイズミルのエーゲ大学のトルコ語教室で学び始めた頃、ここで知り合った日本人の友人から、その陳さんという中国人の話を聞きました。 福建省出身の…

トルコにやって来た朝鮮族

前回の“便り”に続いて、“トルコに来ている中国の人たち”で思い出した話をお伝えします。 99年、イズミルで韓国人チェさんのところに転がり込んでいた頃のことです。ある夕方、市内で韓国人の女性が経営していた写真のDPショップに立ち寄ったところ、イス…

異文化との交流

今年も旧居で新年を祝ってきましたが、ギリシャ正教徒である家主さんの家族は、当主だったマリアさんが昨年の4月に亡くなってから、娘のスザンナさんと孫のディミトリー君で細々とやっています。 ディミトリー君は、昨年の今頃、イスタンブールのギリシャ系…

中国人のホスピタリティー

1990年、東京の大学書林でトルコ語の学習を始めた頃のことです。私は築地の魚河岸でトラックによる配送のアルバイトをしていました。早朝、2tトラックで魚河岸に乗りつけ、場内の卸商から荷車によって運ばれてくる鮮魚等をトラックへ積み込み、多摩地…

トルコ人と中華料理

ここ数年でイスタンブールには中華料理の店が本当に増えました。お客さんもその殆どはトルコの人たちでしょう。いよいよトルコにも“中華の味”が定着しつつあるようです。91年にイズミルのトルコ語教室で勉強していた時のことですが、同じ教室にいたのは、…