メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコにやって来た朝鮮族

前回の“便り”に続いて、“トルコに来ている中国の人たち”で思い出した話をお伝えします。

99年、イズミルで韓国人チェさんのところに転がり込んでいた頃のことです。ある夕方、市内で韓国人の女性が経営していた写真のDPショップに立ち寄ったところ、イスタンブールの韓国料理店で見掛けたことのある朝鮮族の男性が店の片隅にしょんぼりと腰を下ろしていました。

朝鮮族というのは、中国で少数民族となっている朝鮮の人々であり、東北3省、中でも延辺朝鮮人自治区に多く住んでいるようです。

 

この男性は延辺の出身、当時、40歳ぐらいじゃなかったかと思います。中国で蛇頭のような組織からトルコの学生ビザを手配してもらい、「学生をやりながらバイトとしても月に二千ドルぐらい稼げる」と言われて、何人もの仲間と一緒にイスタンブールへやって来たものの、直ぐにそれが不可能であると解ってしまい、皆でイスタンブールの大学に掛け合い、組織を通じて振り込まれていた学費を返してもらったのは良いけれど、そのまま不法滞留者となってしまいました。

その後、この男性は暫くイスタンブールの韓国料理店で働いていましたが、やはり中国からイスタンブールに来ていた朝鮮族の女性が将来を悲観して自殺してしまったり、不法滞留者取り締まりの噂が広がったりした為、イスタンブールを追われるようにイズミルへやって来たのだそうです。

DPショップを経営している韓国人女性は、イスタンブールの韓国料理店からも連絡を受けていたようですが、私の顔を見ると、「私たちの韓国料理店で働いてもらっても良いけれど、住むところが困ったわねえ。貴方たちのアパートは、チェ社長と二人だけでしょ。チェ社長には後で良く話しておくから、今日は貴方たちのアパートへ連れて行ってちょうだいよ」と言います。

私としても断る理由がないので、その朝鮮族の男性と一緒に店を後にし、5分ぐらい歩いて郵便局の前を通り掛ると、彼は急にイスタンブールへ電話を掛けたいと言い出します。それで私が、「それなら、さっきの写真店から電話すれば良かったじゃないですか。まあ、ここからなら大した距離じゃないから戻りましょう」と言えば、彼は脅えたような顔をして、「それはいけません。韓国の人たちは恐いです」と言い張り、結局、郵便局から電話しました。

それから、歩きながら韓国語(彼にとっては朝鮮語?)で色々話を聞いたところ、韓国の人たちは人情がなく、仕事の細かいところや時間にえらく几帳面で冷たい感じがすると言うのです。それは、88年に私が韓国にいた頃、韓国の人たちが日本人のことを悪く言う理由と全く同じだったから、なんだか可笑しくなってしまいました。

DPショップの女性が共同経営している韓国料理店の調理長は中国の人であり、何処で韓国料理を覚えたのか知りませんが、韓国や朝鮮族とは何の関係もない漢族の方だったので、その旨朝鮮族の男性に伝えたところ、彼は急に目を輝かせて嬉しそうな顔をします。

チェさんのアパートは、この韓国料理店の近くにあり、その辺まで来たら、ちょうど向こうから中国人調理長とその家族が歩いて来たので、お互いのことを紹介すると、朝鮮族の男性は満面に笑みを浮かべて調理長の手を固く握り締め、堰を切ったように中国語で話し始めたけれど、その快活な様子は韓国の人たちの前では決して見せたことのないものでした。

この朝鮮族の男性とは、チェさんのアパートで何日か一緒に暮らしたものの、その後彼がどうなったのかは知りません。ちょっと金額までは覚えていませんが、彼はトルコへ来るために借金して、中国の組織に、実際の航空運賃と学費の数倍の金を支払ってしまったそうで、それを返済できるまで中国には帰れないのだと話していました。

しかし、彼が中国人調理長の前で見せたあの笑顔。彼にとっては、朝鮮でも韓国でもない中国こそが紛れもない故郷だったのでしょう。

この一件では、中国人の少数民族に対する度量の広さも感じました。

これに先立つこと2年ほど前。日本で上海出身のおばさんと知り合ったのですが、ある日、このおばさんが上海から嬉しい便りがあったというので、何のことだか尋ねてみると、「上海の御近所さんがね、少数民族であることが明らかにされたのよ、良かったわ」と言うから、ますます何のことだか解らなくなってしまったけれど、要するに中国では少数民族の場合に大学の受験が容易になるため、娘や息子が年頃になると自分のところの家系が少数民族ではないのか調べ始める人たちがいるのだそうです。

まあ、日本では、家系を調べて韓国・朝鮮の出であることが明らかになったと喜んで近所に触れ回る人も余りいないだろうから、この話にはびっくりしました。