メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

少数民族の問題~西洋の悪い風

少数民族の問題がいつ頃から提起されるようになったのか解らないが、「少数民族」という概念も西欧の産物だったのではないかと思う。
その少数民族の問題だが、日本のように殆ど同一の民族から成り立っていた島国の住人はもちろん、大陸でもドイツの人たちは自らの血統に非常な拘りをみせるくらいだから、異なる民族に対する意識は格別であり、それが差別や偏見を生んでしまったかもしれない。
そのため、他国の「少数民族の問題」にも深い関心をもってしまう。

私もトルコの「クルド問題」には少なからず関心があった。ところが、トルコで暮らし始めてから、トルコの人たちの“民族”に対する感覚が、我々とはどうも大きく異なっていることに気がついた。
まず、各々の出自に関して、驚くほど拘りがない。例えば、「私の父方はアルバニア人、母方はグルジア人で私はトルコ人です」と言う人がいても当たり前に受け入れられているし、そんな人は珍しくもない。エルドアン大統領も母方はグルジア人だそうである。
つまり、「トルコ人」というのがエスニックによる民族ではないことを人々はもともと認めていたのだろう。

近年、トルコでも民族主義が盛んになって来たと言われているものの、エスニック的な主張が強くなったわけではない。却って、エスニック的な拘りは減って来たように思える。
2016年頃になって、それまで「中央アジアから来たトルコ人」を自称し、無宗教を主張していた友人が、平然と「トルコ人というのはオスマン帝国イスラム教徒のことだよ」と言い始め、自分たちがイスラム教徒であることも認めてしまったのには驚いたけれど、彼が「酒を飲み礼拝はしない“イスラム教徒”」であることに変わりはなく、アイデンティティの要素が多少変わっただけらしい。
トルコで盛んになって来た民族主義は、「我々は皆、オスマン帝国イスラム教徒である」という“民族主義”であるかもしれない。そこにクルド人を含めても良いだろう。現代トルコ語で民族を表す“ミレット”という言葉は、オスマン帝国時代、“イスラムのミレット”というように宗教の属性を表す言葉だったそうである。
こうした知識と共に、トルコの“民族”がエスニックによるものではないことを私は理解するに至ったものの、「クルド問題」に関してはなかなか問題の有無を疑うまでには至らなかった。
しかし、最近はこのクルド問題も、オスマン帝国の末期以来、西欧によって作り出され扇動されてきた“問題”ではなかったかと疑っている。オスマン帝国には少数民族の問題どころか、“民族”の概念すらなかったらしい。
イスラムの問題に関しても、政教分離主義的なトルコの知識人が、「私たちは西欧で提起された“イスラム問題”にふりまわされていたかもしれない」と述べていた。産業化・都市化の中で自然に解消されるような問題を、西欧の人たちはイスラムの特殊性に結び付けて論じ、トルコの知識人もこれに倣ってしまったというのである。
民族問題でも、西欧の議論をそのままトルコに持ち込んでいたようなところがあったかもしれない。
ソビエトも、西欧のマルクス主義由来の民族自決論により“ウクライナ社会主義共和国”等々を作り、これは現在のロシアにとっても大きな問題になってしまっているが、ロシア人の民族の感覚も、西欧のそれとは少し違っていたような気がする。
ロマノフ朝にはポーランド系やドイツ系など様々な出自の貴族がいたようだ。“水師営の会見”で有名なステッセル将軍はドイツ系だったという。そもそもエカテリーナ女帝からしてドイツ人だった。
民族自決を掲げたソビエトの独裁者スターリングルジア人である。私たちは韓国人の独裁者が権力を掌握した“日本”を想像できるだろうか?

やはり共産主義を導入した中国も少数民族の問題を決して無視しては来なかった。
1997年、大阪に住んでいた頃、アルバイトの職場に上海出身のおばさんがいて、ある時、中国語で嬉しそうに話してから電話を切ると、「良かったわ。上海の友人が少数民族だったのよ」と言ったのである。
何事かと思ったら、中国では少数民族の場合、大学への入学が楽になる制度があるため、大学進学を控える子供のいる親は、自分たちの出自を調べてみるらしい。2~3世代前でも少数民族であることが明らかにされれば、その対象になるからだという。おばさんの友人は有難いことに少数民族だったそうだ。
これも日本では考えられない。出自を調べて「日本人じゃなかった」と喜ぶ人が何処にいるだろう?
その友人がどういう少数民族だったのか聞き洩らしたけれど、例えば、満州族などは、かつての支配階級だったため、平均的な教育水準が、もともと漢族より高かったらしい。その満州族も対象になっているのだとしたら、なんだかお粗末な制度ではないかと思ってしまう。
満州族は、支配民族が少数民族を同化させるという類型にも当てはまっていない。満州族は征服して支配した民族に同化してしまった。
それから、少数民族に関しては、「一人っ子政策」の適用も二人までに緩和されていたそうだ。結構、少数民族の問題には熱心に取り組んで来たのである。
しかし、この「一人っ子政策」というのも凄い。共産主義と同様、科学的な計算に基づき、「人口爆発」を抑えるために始めたらしいけれど、その後、インドが産業化・都市化に伴って、自然と出生率を下げて行ったのを見れば、中国もあれほど無理をしなくても良かったような気がする。
中国は間もなく人口でインドに抜かれてしまうばかりか、極端な高齢化の危機にも直面している。「一人っ子政策」などやるべきではなかった。
また、「一人っ子政策」ほど人権を無視した政策もないと思うが、人権にうるさい西欧が、これに抗議したという話も聞いていない。自分たちの都合次第で何も言わなくなるらしい。
とはいえ、「一人っ子政策」も「文化大革命」に比べたら可愛らしいかもしれない。あんなことを良くやったと思う。「文明を破壊できるくらいだから文明を創造することもできた」というのは解るけれど、世相の移り変わりが早くなった20世紀に、あれは取り返しのつかない無駄になっただけだろう。
結局、中国が共産主義を導入して良かったことなど一つもなかったように思えてならない。 
1988年、ソウルで韓国語を学んでいた頃、韓国のテレビ放送で「儒教は西洋の悪い風を防げるか?」という討論番組を観た。討論には韓国の学生の他、台湾と中国の学生も参加して意見を述べていた。
そこで台湾の学生が、儒教の伝統を大切にする考えを明らかにしたところ、中国の学生は以下のように反論した。
「では、罪を犯した人がいても、その人を町の長老のところへ連れて行くのですか? 司法によって公正な裁判を行うべきでしょう」
私は当時、『良く言うよ。司法も台湾の方がずっと公正だろう』と思ったけれど、おそらく相当なエリートだった中国の学生は、思想的な信条に基づいて、その意気込みを語っていたに違いない。
しかし、それまでの歴史や伝統、そして現実を無視して、制度を導入すればそれが機能すると考えていたのであれば、それは硬直したイデオロギーによるものと言えるかもしれない。
なんだか中国は、西洋の悪い風を防ぐどころか、それを導入してしまったような気がしてならない。

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