メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「日本の作家は文学的なエロチズムの巨匠である」:サルマン・ラシュディー

この「ノルウェイの森」の書評のトルコ語原文をネット検索で探してみたけれど見つからなかった。

書評が掲載されたラディカル紙は、既に発行を止めているので多くの記事が失われてしまったようだ。日本語訳は、以前、私が拙訳して保存してあったものである。

しかし、トルコ語原文を探しながら、ふと思いついて、サルマン・ラシュディー氏のインタビュー記事を探してみたら、これは見つかった。

2006年にトルコの作家オルハン・パムク氏がノーベル文学賞を受賞したのを機に、ジャーナリストのヤセミン・チョンガル氏が、パムク氏と親交のあったラシュディー氏に取材した「トルコはパムクの価値をいつか理解するだろう」という記事である。

この記事の中で、ラシュディー氏がチョンガル氏の問いに答えて、日本の作家について語っているところが興味深く思えたので、その部分だけを拙訳してみた。

*********(以下2007年3月18日付けハベルテュルク紙より拙訳)

問:「現代の作家で好きなのは?」

ドン・デリーロはとても好きな作家だ。

ニューヨークで友人付き合いのある作家と言えば、ポール・オースターパトリック・マグラアピーター・ケアリーである。

その皆の作品も好きだけれど、そもそもお互いの作品を好まない作家たちが、夕刻、一緒に飲んでいるなんて考えられない。

村上春樹も非常に好きな作家である。それから、ソマリアの作家ヌルディン・ファラーも。

そして、もちろんオルハン。ノーベル文学賞が発表された日には、彼と一緒だった。

コロンビア大学は、彼に歓迎の食卓を用意していたが、朝、受賞が発表されたため、それは祝ノーベルの食卓になってしまった。そこへ同席できて嬉しかった。

問:「ミラン・クンデラは、新作で、小説は他の特定の小説との関係の中で意味を獲得すると述べながら、『悪魔の詩』をヘルマン・ブロッホの『 夢遊の人々』、 カルロス・フエンテスの『テラ・ノストラ』と関連付けています。」

ミランの本はまだ読んでいないが、何故、その二つの小説と私のを関連付けたのだろう? 

書いている時に、二つとも私の頭の中には無かったよ。しかし、小説の間の関係という問題には同意するね。小説は多くの異なる小説と繋がっている。

私の作家としての言語は英語である。しかし、読者としては、ロシア人、南米人、日本人にも成る。特に何人かの日本人作家ときたら・・・。

例えば、谷崎潤一郎川端康成。しかし、三島由紀夫は違う。三島は大袈裟に誇張されている。その作品はとても退屈であり、その人生は安っぽい冒険映画のようだ。唯一の特徴は、面白い死に様だろう。(三島はハラキリで自殺している:ヤセミン・チョンガル)

他の日本人作家たちは、優雅で非常にエロチックである。文学的なエロチズムの巨匠と言える。

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「ようやく学校の対面授業が再開される」(トルコのサバー紙より)

トルコのサバー紙で、半年前にも「人々を『生きる屍』に、社会を『禁止の地獄』に変えてしまってはならない!」と訴えていたメフメット・バルラス氏が、9月2日付けのコラムで、またコロナ問題を取り上げていたので、前半のその部分だけを拙訳してみました。

**********(以下9月2日付けサバー紙コラムより拙訳)

長期にわたったブランクを経て、ようやく学校の対面授業が再開される。

もちろん、これは不安、あるいは恐れに満ちた期間になるだろう。

多くの研究にもかかわらず、コロナと言われるウイルスの全容を私たちは認識できずにいる。

例えば、子供たちにどのような痕跡を残すのか未だ解明されていない。

知られているのは、コロナが子供たちではなく、大人を脅かしているという事実だ。

死亡の記録を見ても、これには理解が得られるだろう。

対面教育が始まり、その課程に責任のある人たちは、どうか子供たちを圧迫しないで欲しい。

マスクの着用やワクチンの接種を強要したり、事あるごとにPCR検査を望んだりするのも、子供たちや父兄を圧迫してしまう。

最近、広範な議論の要因になっているワクチン問題は、まだ全てが明らかになっていない。

明らかになっているのは、ワクチンを独占している企業が通常では考えられないほどの利益を上げたということぐらいである。

そのため、世界の多くの国々と同様、トルコもワクチンの購入に重大な予算を割いている。

しかし、このプロセスも終わるはずだ。それも、願わくは、最少の損害で終わらせたい。子供たちに、これ以上の困難を強いることなく、充足できていない教育を全うさせようではないか。

**********(後略)

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トルコ料理の名店「Hünkar Lokantası(ヒュンキャル・ロカンタス)」

このYouTubeの動画では、ニルギュン・ビンギョルという女優さんが、イスタンブールのニシャンタシュにある「Hünkar Lokantası(ヒュンキャル・ロカンタス)」という伝統的なトルコ料理のレストランを紹介している。

ニルギュンさんの質問に答えるオーナーシェフのフェリドゥン・ユギュムさんは、のっけから「私が日本でオリーブオイルを使ったトルコ料理を紹介したら、日本のマーケットにもオリーブオイルが並ぶようになった」なんて言うので、「???」と思ってしまったけれど、「ヒュンキャル」の店内には、確かに服部栄養専門学校(だったと思う)から送られた表彰状が飾られていたと記憶している。

いずれにせよ、「ヒュンキャル」が、イスタンブールを訪れる方たちに是非お勧めしたくなる名店であることは間違いないと思う。

「ヒュンキャル」は、「Esnaf lokantası(エスナフ・ロカンタス)」と呼ばれるスタイルのレストランで、料理は作り置きされて、湯煎で温めた状態で並べられている。

メニューを見てどういう料理か解らなければ、並べられている料理を指さして注文することもできる。

エスナフ・ロカンタスの部類では、ウスキュダルの「Kanaat(カナート)」が有名だけれど、「カナート」は他のエスナフ・ロカンタスと同様に酒類を提供していない。

「ヒュンキャル」は、「カナート」とほぼ同じようなレパートリーの料理を扱っているものの、ワインも各種そろえている点が異なる。

その代わり、値段は「カナート」と比較にならないほど高い。

動画の最後の場面で、フェリドゥンさんは、作った料理に合わせるワインとして、トルコ産のワインを勧めながら、「お金は国内に留まった方が良いでしょ」などと茶目っ気のあるところを見せている。

「ヒュンキャル」には、エルドアン大統領が訪れることもあると何処かで読んだ記事に書かれていたけれど、ニシャンタシュという場所柄、政府の要人も訪れたりするだろうから、少し愛国的な精神を見せておいた方が良いのかもしれない。

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ニシャンタシュ:2012年12月



 

最近のイスタンブールの街角

1週間ほど前から、「Daily Street Walking」というYouTubeのチャンネルで、最近のイスタンブールの街角の様子を楽しんだりしている。

観ていると、画面から街の活気が伝わってくるようで嬉しくなる。

日本では、緊急事態宣言で「酒類の提供」を規制しようとしているが、イスタンブールにそういった規制はないようだ。店のテラスのテーブルでワインやビールを飲む人たちの姿も映し出されている。

また以下のオルタキョイで撮影された動画を観ると、マスクを着用しているのは半数程度であるような感じもする。

スカーフを被った女性と被っていない女性の2人連れが、何組もカメラの前を通り過ぎているけれど、スカーフを被った女性だけがマスクを着用している場合もあれば、その逆もある。

マスク着用の是非に信仰の度合いなど関係ないのだろう。日本でも、コロナの議論には、左も右も無くなっているようだが、同様の状況になっているのかもしれない。

それから、カメラが人々の会話やスマホで話す声をかなり拾っていて、その辺りもなかなか楽しく感じられる。雑踏は話し声で常にざわついている。

そもそも、トルコで何を禁じると言っても、人々のお喋りを禁じることほど難しいものはないような気がする。そんなことしたら、皆、窒息してしまうだろう。

私も早くトルコへ行って、友人や街角の人たちと果てしなく続く無駄話を楽しんでみたくなった。

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オルタキョイ:2014年8月



 

 

 

Of Amerika! Of!Of!

表題の「Of」は、「United States of America」の「of」ではない。英語じゃなくてトルコ語の「of」である。

トルコには、まず「Of(オフ)」という地名がある。このオフは黒海地方トラブゾン県の東端に位置している。

黒海地方の人々は、トルコでしばしば小話のネタにされていて、オフ(Of)の人が主役の小話もある。

- オフ(Of)出身のテメルが自慢げに話している。「オフはアメリカよりも凄いんだぜ! だって英語には、いつも『America』の前に『of』って書いてあるじゃん!」 -

それから、「of」はトルコ語の感嘆詞にもなっていて、うんざりした時に「Of!Of!」と叫んだりする。

つまり、表題の「Of Amerika! Of!Of!」は、トルコ語で「いい加減にしろアメリカ! もうたくさんだ!」といった意味になる。

アフガニスタンから、米軍は予定通り8月31日に撤収するのか、それとも暫く駐留を続けるのか議論されていたけれど、結局、8月31日にドタバタと引き上げて行ってしまったという。

それは「立つ鳥跡を濁さず」なんて品の良いものじゃなくて、まるで「立つ鳥クソをまき散らし」といった醜態だったらしい。

20年間も介入し続けた挙句、最後は無責任に混乱を収拾することもなく引き上げて行ってしまう。本当に「いい加減にしろアメリカ!」と叫びたくなる。

混乱の中に放置されたアフガニスタンは、果たしてこれからどうなるのだろう?

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「ノルウェイの森」には日本の歌が1曲も出てこない?

村上春樹の小説から「八月の濡れた砂」が思い出されたような話を書いたけれど、おそらく、村上春樹の小説に「八月の濡れた砂」が出て来る場面などないと思う。

それどころか、「ノルウェイの森」には、日本の歌が1曲も登場していないそうだ。

2004年の11月、トルコのラディカル紙に掲載された「ノルウェイの森」の書評に、そう指摘されていたので驚いた。

私はそれまでに「ノルウェイの森」を2回ほど読んでいたのに、全く気が付いていなかったのである。

書評を記したセファ・カプラン氏は、60年代末の日本で、18~20歳の大学生たちが引っ切り無しに洋楽を聴き、ウイスキーを飲んでいる姿に驚き、「・・・350ページの中で1曲も日本の歌には言及していない」と指摘している。

「・・・保守的で伝統を重んじる国と言えば、真っ先に思い浮かぶ日本で、しかも1968~9年に、人々は信じられないくらい気楽に性を営んでいる」とも記されていて、これには何だか苦笑いだが、「1曲も日本の歌には言及していない」というのは、多くの日本の人たちも見逃している観察じゃないかと思う。

もちろん、1968~9年を舞台とする小説に、71年の作品である「八月の濡れた砂」が出て来るはずもない。その頃は、まだユーミン中島みゆきもデビューしていなかった。

しかし、当時、洋楽を好んで聴いていた若者たちも、たまには日本のフォークソングなどを聴いていたに違いない。それを何故1曲も取り上げなかったのだろう?

村上春樹は、作品が英語等に翻訳されて世界各国で読まれることを前提に、なるべく各国の人たちが受け入れやすい題材を扱ったとも言われているけれど、そこまで徹底する必要があったのか、何だか奇妙に感じてしまう。

私の偏見かもしれないが、村上春樹と同世代の人たちには、過剰な欧米志向がうかがえたりする。そのため、「白い東洋人」的な態度になって、他の東洋の国々を見下そうとしたのではないか。

村上春樹の小説を読んでも、モンゴルなどは酷い扱いである。「雨天炎天」のトルコに関する記述にも驚いた。トルコやイスラムにもの凄い偏見があったとしか思えない。

2004年だったか、ギリシャへ行くバスに同乗していた韓国人の若い女性2人から、いきなり「ハルキ、読んだことあります?」と訊かれた。

当時、韓国では、既に「ハルキ」で通っていたようだ。彼女たちは、旅に出てから行く先々で日本人と会う度に同じ問いを繰り返して来たものの、「読んだことがある」と答えた日本人は、私が初めてだったというけれど、「ハルキ」の小説に現れる「欧米志向」には何を感じていただろう。

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そういえば「八月の濡れた砂」を聴いていなかった・・・。

現在の警備員の職場は、朝8時から翌朝の8時まで24時間勤務して、2~3日の休みが入るという変則的なシフトになっている。

場合によっては、4日休みが続くこともあれば、1日挟んでまた勤務になったりする。

今日は、その「連勤」の間の日で、朝、夜勤が明けてから、朝霧の温泉に寄って来た。

夜勤明けで家に帰って来ると、大概、2時間ぐらい横になってしまうが、それでは夜寝るのが遅くなって、翌日の勤務中、凄まじい睡魔に襲われたりする。

そのため、「連勤」の夜勤明けには、昼寝を避けて夜早く寝ることにしているけれど、頭がぼんやりして1日何していたのか良く解らなくなっていたりする。

今日は、午前中、温泉でゆっくりしてから、昼、朝霧駅近くのココイチでカレーを食べて来た。後は、この駄文をブログに載せれば1日が終わる。軽い夕食を取って、さっさと寝るだけだ。

ココイチ朝霧駅と大蔵谷海岸の間に位置している。駅のホームから眺めると、海岸通りにポツンと立っていて何だか寂しげに見えるけれど、淡路海峡の景色を満喫しながらカレーを食べることができる。SNSには「最高に贅沢なココイチ」なんて評価も寄せられていた。

寂しげに佇んでいる様子もなかなかロマンチックで、何だか村上春樹の小説に出てきそうである。

そんなことをぼんやり考えていた所為か、カレーを食べてから海岸の公園に出て、海の景色を眺めていると、突然、「八月の濡れた砂」のメロディが思い浮かんだ。そして、歌を口ずさみながら駅の方へ歩いた。

40年前、何の将来設計もなく漫然と過ごしていた20~22歳の頃、酒を飲んではこの「八月の濡れた砂」を聴いていた。酒の量が多い時は『あの映画の主人公たちのように死んでしまうのも悪くないか』と思ったりした。

これから先、未だ40~50年生きるなんて途方もないことのようだった。『あと40年も生きれば充分だろう。もっと早く死んでも良い』ぐらいに思っていたのである。

あれから40年、今の私はあの頃よりも若いような気がする。やりたいこともあるし、それをやるだけのエネルギーも感じている。

そういえば、この4~5年、「八月の濡れた砂」は全く聴いていなかったかもしれない。やっぱり良い曲だとは思うけれど・・・。

www.youtube.com

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