メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「ノルウェイの森」には日本の歌が1曲も出てこない?

村上春樹の小説から「八月の濡れた砂」が思い出されたような話を書いたけれど、おそらく、村上春樹の小説に「八月の濡れた砂」が出て来る場面などないと思う。

それどころか、「ノルウェイの森」には、日本の歌が1曲も登場していないそうだ。

2004年の11月、トルコのラディカル紙に掲載された「ノルウェイの森」の書評に、そう指摘されていたので驚いた。

私はそれまでに「ノルウェイの森」を2回ほど読んでいたのに、全く気が付いていなかったのである。

書評を記したセファ・カプラン氏は、60年代末の日本で、18~20歳の大学生たちが引っ切り無しに洋楽を聴き、ウイスキーを飲んでいる姿に驚き、「・・・350ページの中で1曲も日本の歌には言及していない」と指摘している。

「・・・保守的で伝統を重んじる国と言えば、真っ先に思い浮かぶ日本で、しかも1968~9年に、人々は信じられないくらい気楽に性を営んでいる」とも記されていて、これには何だか苦笑いだが、「1曲も日本の歌には言及していない」というのは、多くの日本の人たちも見逃している観察じゃないかと思う。

もちろん、1968~9年を舞台とする小説に、71年の作品である「八月の濡れた砂」が出て来るはずもない。その頃は、まだユーミン中島みゆきもデビューしていなかった。

しかし、当時、洋楽を好んで聴いていた若者たちも、たまには日本のフォークソングなどを聴いていたに違いない。それを何故1曲も取り上げなかったのだろう?

村上春樹は、作品が英語等に翻訳されて世界各国で読まれることを前提に、なるべく各国の人たちが受け入れやすい題材を扱ったとも言われているけれど、そこまで徹底する必要があったのか、何だか奇妙に感じてしまう。

私の偏見かもしれないが、村上春樹と同世代の人たちには、過剰な欧米志向がうかがえたりする。そのため、「白い東洋人」的な態度になって、他の東洋の国々を見下そうとしたのではないか。

村上春樹の小説を読んでも、モンゴルなどは酷い扱いである。「雨天炎天」のトルコに関する記述にも驚いた。トルコやイスラムにもの凄い偏見があったとしか思えない。

2004年だったか、ギリシャへ行くバスに同乗していた韓国人の若い女性2人から、いきなり「ハルキ、読んだことあります?」と訊かれた。

当時、韓国では、既に「ハルキ」で通っていたようだ。彼女たちは、旅に出てから行く先々で日本人と会う度に同じ問いを繰り返して来たものの、「読んだことがある」と答えた日本人は、私が初めてだったというけれど、「ハルキ」の小説に現れる「欧米志向」には何を感じていただろう。

merhaba-ajansi.hatenablog.com