メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

第5世代戦闘機とトルコの新世代

トルコで、開発中の国産戦闘機「カーン(Kaan)」が初のテスト飛行に成功した。このニュースは日本でも大きく報道されたようである。

米露中に続く「第5世代戦闘機」の開発と伝えられているけれど、これが何を意味するのか、専門的な知識のない私には良く解らない。

トルコ空軍への編入は、2028年に予定されているそうだから、それまでに解決しなければならない様々な課題があるのだろう。

しかし、まだ若いエンジニアの多い開発チームは、今後も弛まない努力を続けて、難関を乗り越えて行くのではないかと期待されている。

これまでにも、チームのエンジニアたちは、家に帰らず現場に寝泊まりして開発を続けたことが度々あったという。

技術的なことは解らないものの、私はこういったエンジニアたちの努力とそれを称賛する報道が感慨深く思えた。

20年ぐらい前だったか、トルコの新聞のコラムか何かに、「我々は家に住んでいて会社へ働きに行くが、日本人は会社に住んでいて時々家に行く」なんて記されていた。そこには「称賛」というより、多少揶揄するような雰囲気が感じられた。

日本を知る周囲の人たちからも、「日本の人たちは働き過ぎで幸せになっていない」「家族が犠牲になっている」等々の批判を聞いたことがある。ところが、今では、現場に泊まり込みで働くエンジニアを称賛するようになったらしい。

開発チームのチーフ・エンジニアであるエムレ・ヤバン氏は、2007年ガーズィ大学の卒業と紹介されているから未だ40歳ぐらいじゃないかと思う。チームはかなり若い世代から構成されているようである。

そもそも、プロジェクトは2010年に始まり、2015年以降に本格化したという。そこには新しい世代による革命的な試みもあったような気がする。

おそらく、トルコではこの30年ほどの間に教育水準も飛躍的に上がっていただろう。

昨年、トルコ共和国は、建国100周年を盛大に祝ったけれど、建国以来の努力がいよいよ結実する時期を迎えているのかもしれない。

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餃子の焼き具合

今日は昼から姫路へ出たので、またベトナム料理にしようかとも思ったが、結局は「餃子の王将」にした。

餃子の王将」は町中華でも、一応は中華料理に違いないのだろうけれど、調理しているのは、ベトナムやネパールの人が多いようだ。

この姫路の王将では、以前、「カン」というネームプレートをつけた青年の焼く餃子が美味かった。多分、ベトナム人だったのではないかと思う。

もちろん、王将の餃子は、本部の工場で一括生産されているはずだが、各店の担当者によっても焼き具合には結構隔たりがある。

餃子以外の料理に至っては、店ごとにメニューが異なっているし、店長の裁量で材料も変えられるのか、同じ料理でも明らかにレベルが違っていたりする。

「ニラレバ炒め」のニラが少なくて、まるで「もやしレバ炒め」のようになっている店もあった。

姫路の王将は、「ニラレバ」も「ムーシューロウ」も美味かったけれど、昨年、店長が変わったらしく、メニューにも従業員の顔ぶれにも多少の変化が見られ、料理は「酢豚」も「青椒肉絲」も格段に美味くなった。

その代わりと言っては何だが、餃子の焼き具合には、ちょっと外れが多くなったかもしれない。

今日の餃子はまあまあだったが、欲を言えば、もう少し焼き色を濃くして、羽根もつけてもらいたかった。

 

ベトナムの菓子「バイン ダウ サイン」 // トルコの「バーデム エズメスィ」

先週、姫路で購入して来たベトナムの菓子は、かつての王宮でも愛された「バイン ダウ サイン」という非常に由緒のある菓子だそうである。

私は食べて『これはトルコのヘルヴァ(ハルヴァ)だな』と思ったけれど、ヘルヴァもオスマン帝国の時代には、宮殿に「ヘルヴァハーネ」というヘルヴァを作る所があったくらいで、結構由緒のある菓子だったらしい。

ヘルヴァは小麦、「バイン ダウ サイン」は緑豆の粉が原材料であるというから、確かに似通ったところはあるのかもしれない。

しかし、今のトルコでは、ヘルヴァをそんなに有難がって食べる人もいないと思う。ベトナムではどうなんだろうか?

「バイン ダウ サイン」を食べながら、ヘルヴァと共に「バーデム エズメスィ」も思い出したけれど、こちらはアーモンドをすり潰して練り固めた菓子で、食感が少し似ているような気がする。

しかし、「バーデム エズメスィ」はヘルヴァと違って、かなり高価な菓子である。

有名なベベクの「バーデム エズメスィ」などは、口に含むとアーモンドの香りが広がり、実に高級な味わいがする。今でも由緒あるイスタンブールの土産物として通用しているだろう。




 

 

昭和な喫茶店?

近所に「石」という喫茶店がある。外観にとても趣があり、配送の仕事で頻繁に前を通るようになってから、何だか気になっていたけれど、日祝は営業していないため、殆ど訪れる機会がなかった。

先月、どういうわけか職場で平日が1度臨時の休みになったので、出かけてみたところ、内装にも趣が感じられ、落ち着いた雰囲気に心が和んだ。それで、年に数回予定されている土曜日休みの際に、また来てみようと思った。今日がその土曜日である。

前回と同様にモーニングを頂き、店主の方に色々お尋ねしてみた。創業は、なんと50年前になるという。この辺りでは最も古い喫茶店らしい。

創業当時は、店の前に小川が流れ、その向こうに神戸製鋼の社宅があったそうだ。今は二車線の道路を挟んだ向こう側に大きなマンションが建っている。

レジスターも創業以来のもので、若い人たちが珍しがって写真を撮って行くと伺ったけれど、私はその懐かしさに写真を撮った。モーニングのトーストとゆで卵の組み合わせも懐かしいような気がする。

私は昭和35年の生まれで、昭和が終わる時は28歳になっていた。

そのため、「昭和レトロ」なんて言われると、『昭和ってそんな昔か?』と抵抗を感じてしまうが、この喫茶店を「昭和レトロ」と言うのであれば、確かにそうであるかもしれない。

「昭和レトロ」もなかなか素敵じゃないかと思う。







「宇宙の果てまで貴方を愛します」:パキスタンの口説き文句?

5年ほど前、福岡で送迎バスの運転手をしていた頃、就学生を送迎するマイクロバスで、助手席は言わば特等席のようになっていた。後ろに並んでいる二人掛け席より楽に座れることもあったが、運転手の私と日本語の会話を試みるために座る就学生もいた。

パキスタン人就学生グループのリーダーだった青年も、リーダーの特権であるかのように助手席を独占していたけれど、やはり少しでも日本語で話す機会を得ようとする姿勢がうかがえた。それぐらいだから、日本語の会話能力もリーダーの名に恥じないレベルと言って良かった。

助手席に他のネパール人就学生などが先に座っていたりすると、ひと睨みして退かしたりした。なにしろ、がっしりして背も高く、中東風のいかつい顔だから、何も言わずに睨みつけるだけで充分だった。

彼は福岡の日本語学校で学んでいる間に日本人女性と恋仲になり、その後、めでたく結婚したのではなかったかと思う。

女性とつき合い始めた頃は、助手席に座っている時も携帯電話で延々とラブコールを繰り返していたが、その口説き文句の凄まじさに私も思わず聞き耳を立てていた。

おそらく、ウルドゥー語口説き文句を日本語に直訳して並べていたのだろう。

「地球の全てを捧げます」とか「宇宙の果てまで貴方を愛します」なんていう文句が次から次へと出て来た。

「宇宙の果てまで・・・」に、私も釣られて「宇宙の果て!」と叫んだら、後ろのパキスタン人グループの面々がクスクス笑っていた。

その翌日だったか数日後だったか、送迎バスにパキスタン人グループが乗り込んで来たのに、リーダーの姿は見えなかったので、どうしたのか訊いたら、そのパキスタン人就学生が「彼は宇宙の果てに行きました」と答えて大爆笑だった。

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ベトナム料理最高!/アフリカの料理も美味そうだ。

今日の昼は、姫路の駅前地下街にあるベトナム料理のスタンドでバインミーとブンボーという麺料理を食べた。休日は朝食を食べないことにしているので、これぐらいなら満腹にもならない。

ブンボーもフォーと同じように米粉から作った麺だけれど、製法が少し違うらしい。これもなかなか美味かった。

この店は、地下街の一画にある小さなスタンドだが、他にも生春巻きなど色々なメニューがある。また時々寄ってみることにしよう。

ベトナムの菓子や酒類を販売しているコーナーには、笹の葉に巻かれた大きな粽も売られていたけれど、独り暮らしの私には大き過ぎたので、その隣にあった箱入りの菓子を購入して来た。

粽は春節に合わせて特別に用意していたという。調理を担当しているベトナム人女性が、「春節」と言って説明してくれた。

旧正月春節ベトナム語は「テト」だろう。そのぐらいなら私でも分かるが、それは「テト攻勢」という歴史的な出来事に由来している。他にも、ベトナムの地名と言えば、直ぐに「ディエンビエンフー」などが出てきてしまう。

それはベトナムの人たちにとっても「栄光の歴史」に違いないだろうから、嫌がられることはないと思うけれど、長い歴史と豊かな文化のある国を「ベトナム戦争」だけで語るのは、申し訳ないことであるかもしれない。「豊かな文化」も私が知っているのは美味しい料理ぐらいである。

しかし、ベトナムを始めとする東南アジア各国の豊かな食文化は、もっともっと広く知られるべきじゃないかと思う。

トルコの料理が世界三大料理に数えられて、トルコの人たちがそれを誇りにしているのは、ヨーロッパの食文化が余りにも貧弱だからであるような気がする。

トルコの人たちは、自分たちの料理に比肩し得るのはイタリア料理ぐらいだと思っているかもしれない。トルコでは、ベトナムやタイの料理、そして、世界に冠たる中華料理さえ未だそれほど良く知られていないのである。

我々日本人も、欧米の文化ばかり見ていて、直ぐ近くの東南アジアにある壮大な食文化の存在に気が付くのが遅すぎたくらいだろう。

東南アジアは、気候が温暖で多種多様な食材が手に入るから、食文化が豊かになるのも当然に違いない。何故、これに気が付かなかったのか・・・。

最近、SNSでアフリカ各国の料理が紹介されているのを見ると、これもなかなか美味しそうである。

考えてみたら、アフリカ各国も、その気候からして食材が豊富なのは当たり前である。ちょっと癖のある結構変わった調味料などもあるらしい。

1992年頃だったか、トルコのイズミルで、トルコ語教室で知り合ったケニアの人たちから昼食に招待され、『どんな変わった料理が食べれるのか?』と期待して出かけたら、普通にインド風なカレーでがっかりした思い出がある。

おそらく、ケニアの独特な料理を出したら驚かれると思って、オーソドックスなカレーにしたのだろうけれど、当時の私は『ケニアには余り固有な食文化がないのかな?』などと考えてしまった。







 

ネパールやベトナムの人たちが活躍する日本の社会

ネパール人やベトナム人の就学生の多くは、2年制の日本語学校を卒業すると各種の専門学校へ行く。福岡でネパール人の女性たちは、観光業の専門学校へ行く例が多かった。

この専門学校も2年制で、卒業すると、日本の各地の観光ホテル等へ就職することが可能になる。ネパールの人たちは英語がかなり話せるので、インバウンドが復活した今は、何処でも重宝されているらしい。

先日、テレビのニュース番組で、そういったネパール人女性の活躍が紹介されていた。しかし、インタビューに答えていた彼女の日本語はそれほど巧くないように感じられた。

福岡で知り合ったネパール人やスリランカ人の就学生らの日本語は、もっと巧かったのではないかと思う。彼女たちはもっと活躍しているかもしれない。

まあ、テレビのインタビューともなれば、緊張してなかなか実力が発揮できなかったこともあるだろうけれど・・・。

一方、優秀な男子の就学生たちは、自動車整備士の専門学校を目指したりしていた。こちらは4年制だが、ここを卒業すると、100%が整備士として就職できるという。

現在、私がトラックで商品を運び込んでいる配送先には、多分、そういった過程を経て来たネパール人やスリランカ人の整備士の姿も見られる。

既に、そこでも数年の経験を積んできたスリランカ人整備士の日本語などは驚くべきレベルである。彼が店内にアナウンスしているのを聴いたら、誰もが「ネイティブの日本語話者」であると思ってしまうだろう。

私は福岡で知り合ったネパール人就学生を思い出しながら、『あんな強力なライバルがいるんじゃ、ディパクさんも大変だなあ』と溜息が出そうになる。

福岡のネパール人就学生の中には、日本人男性と結婚して、既に2児の子育てに励んでいる女性もいる。

フェイスブックを通してその様子を見ることができるけれど、出産の祝いなどにはネパールの習俗をそのまま用いたりしているようだ。日本人のパートナーもネパールの衣装を着て、それに協力している。

子供たちも日本語とネパール語バイリンガルになってくれたら素晴らしい。

おそらく、日本の各地でこういった多様化が進んでいるのではないだろうか。私たちは、日本の将来をそれほど心配しなくても良いかもしれない。

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