メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

メーデーの歌?

今日はメーデー、トルコでは上記の駄文にも記したように、2008年に公的な祝祭日として認められたそうだが、それ以前から5月1日には各地でメーデーを祝う集会が催され熱く盛り上がっていた。時にはそれが流血の事態に至ることもあったという。経済的に困難な状況が続く中、今年のメーデーも熱く盛り上がるだろうか? 大きな事件が起こらなければ良いが・・・。

日本では公休日にもなっていないし、もう若い人たちの間では話題にもならないらしい。「インターナショナル」なんて歌も知らない人が増えたそうだ。思想云々に拘わらず、そのメロディーが耳に残っているのは、ひょっとすると私たちの世代が最後であるかもしれない。

トルコでは5月1日の集会にトルコ語バージョンの「インターナショナル」が歌われたりして結構知名度も高いのではないかと思うけれど、トルコで左翼の人たちが好んで歌うのは「インターナショナル」よりも、以下の「Çav Bella」という歌だろう。

5月1日には必ず聴くことができた。もとは「Bella ciao」というイタリアの歌らしい。日本では「さらば恋人よ」と訳されて、ダークダックスなども歌っていたらしいが、今では殆ど忘れ去られているようだ。

韓国ではどうだろうかと思って、ちょっと検索してみたところ、上記の「インターナショナル賛歌!」という駄文でもご紹介したチェ・ドウン氏の歌う「벨라차오(Bella ciao)」がヒットした。

しかし、私がソウルに語学留学していた87年~88年にかけて、民主化闘争のデモ集会で良く耳にしたのは、この「벨라차오」でも「インターナショナル」でもなかった。それは、おそらく「임을 위한 행진곡(あなたのための行進曲)」という以下の歌だろう。この歌は80年の光州事件に由来しているそうだ。これを聴くと、確かに、あのソウルの熱い日々が蘇ってくるような気もする。

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*「Bella ciao(さらば恋人よ)」の北朝鮮バージョン!

*2006年、イスタンブールメーデー



桜の花は散ったがコロナは散らずワクチン花盛り?

座っている時間の長かった警備員の仕事から、運動量の多い配送の運転手に転職して、早や4カ月が過ぎようとしている。

今年の冬は例年になく寒かったので、屋外の作業は結構堪えたが、桜の花も散り、緑が濃くなって気温も上がり、ようやくエネルギーも増してきたように感じている。

やはり、適度に体を動かしていた方が健康に良いのだろう。それから、夜勤も無く、毎日決まった時間に寝られるのが、とても健康的であるかもしれない。朝は6時半に起きて、夜は11時頃に就寝、もう少し遅くなることもあるが12時を過ぎることはない。

「6時半起床~11時就寝」は高校の寮の規則だった。

イスタンブールに居た頃も、特に2014年以降は、この規則正しい生活を心がけていたけれど、帰国以来、夜勤の仕事が多かったりして、なかなか巧く行かなかった。それがやっと元に戻ったのである。

もう一つ、転職して健康のために良かったと思うのは、ワクチンの3回目を打たずに済んだことだ。警備員を続けていたら、年明け早々に3回目を打たされていただろう。これから4回目も有り得るかもしれない。

私に医学的な知識はないから、ワクチンの効能や副作用については何も解っていないけれど、普通に考えても医薬品を頻繁に使うのは余り健康的ではないように思える。私は薬も滅多に飲まないことにしている。

どんな薬にも副作用はあるに違いない。それを短期間に何度も打った場合の安全性は確かめられているのだろうか? そもそも、コロナのワクチンは治験の期間も充分とは言えなかったはずである。どうにも不可解なことが多すぎるような気がする。

この先、4回目、5回目と増えて行ったら、ワクチンを続けて打っていないと不安になってしまう人も出てきそうで恐ろしい。

ワクチンがないと不安で堪らない、夜も寝られない。だから毎月一回、さらには毎週一回、ついには毎日一回というワクチン中毒の人が現れてしまうかもしれない。略して「ワク中」。

ワク中の人は、もちろん注射器を常備する。そこへ、ワクの売人がやってきて「純度の高いワクがありまっせ旦那」と囁く・・・。いったい何の話をしているのだ?




マルディン~ハタイの復活祭ミサ

正教の復活祭(正しくは復活大祭と言うらしい)、トルコではパスカリヤ(Paskalya)と言われている。おそらく、ギリシャ語のパスハ(Πάσχα)に由来しているのではないかと思う。

今朝、「Paskalya」でYouTubeを検索してみたところ、トルコの南東部、マルディン県やハタイ県で昨日催された復活祭ミサの様子を観ることができた。

1994年、マルディンを旅した際、いくつもの教会を見て回ったけれど、復活祭の時期ではなかったから、日曜のミサを見学することが出来たぐらいである。そのため、この動画にはなかなか感慨深いものがあった。

意外に思ったのは、祈祷文は、スリヤーニ語かアラビア語と思しき言葉で読み上げられていたものの、司祭さんの説教にはトルコ語が使われていた所である。

2010年頃だったか、イスタンブールで訪れたシリア正教の教会でも、司祭さんはトルコ語で説教していたが、その理由を「イスタンブールで育った若い人たちトルコ語しか解りませんから・・」と明らかにしていた。

現在は、マルディン県の若い人たちトルコ語しか話さないようになっているのだろうか? 1994年に旅行した頃は、年配の女性たちがトルコ語を余り解せず、意思の疎通に苦労したくらいだったけれど・・・。

以下の動画は、ハタイ県のアンティオキア教会で営まれた復活祭ミサの模様。この教会は2011年に訪れたことがあり、記憶も鮮明に残っているので、とても懐かしい感じがした。

*2011年に訪れたアンティオキア教会



 

 

 

 

イースターまでに実現されなかった停戦

正教会では、今日4月24日に復活大祭イースター)を祝う。ウクライナやロシアの各地の正教会聖堂でも復活大祭のミサが営まれているではないかと思う。

誰もが平和な世界の復活大祭を願っていただろう。しかし、復活大祭を前に停戦が実現されることはなかった。

停戦の仲介に尽力しているトルコのチャヴシュオール外相は、21日、CNNトルコ放送のインタビューに答え、「NATOの中に戦争を長引かせようとしている国がある・・」と述べていた。

その国の名を伏せているのが、過激なやり方を避けるトルコらしい所じゃないかと思うけれど、おそらく、その国は米国である。戦争が長引けば、ロシアを経済破綻の窮地に追い込むことが出来るかもしれないからだ。

トルコでも多くの識者は、以下の駄文に記した「ロシアの切り札」も長期的には有効性を失うと見ているようである。

ところが、非常に反米的なベルジャン・トゥタル氏は、今日(4月24日)のサバー紙のコラムでも、「米国の思い通りにはならない」という自説を繰り返している。

「ドイツのショルツ首相に反米の意図はないが、米国に屈服することもない。米国の思い通りにさせない現在の受動的な外交姿勢を続けるだろう」といった見解を明らかにしているのである。

また、イスラエルが米国に同調していない点を強調しているけれど、これはどうなのだろう? ユダヤの人たちは、世界の歴史の転換点を決して見誤ることがないように思えるからだ。

しかし、今日のトゥタル氏の記事で最も興味深く感じたのは、この戦争で米国を積極的に支持している例外的な国として、ポーランドバルト海沿岸諸国、そして日本の名が挙げられていた件である。

トゥタル氏ほど極端な見方ではなくても、日本の積極的なウクライナ支持を訝し気に捉えているトルコの識者は少なくない。日本がこういう形で取り上げられるようになってしまったのは何だか悲しくなる。

*2010年の復活大祭で、イスタンブールのロシア教会の堂内に飾られていたイースターエッグ等々。

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酒浸りの週末/シベリアのウォッカで乾杯!

先週末は職場の特別休暇で土日と2連休になった。それで、まずは土曜日に、高校同期の友人と大阪の谷町にあるロシア料理の店「ボーチカ」で一杯やることにした。

ボーチカ(Бочка)とはロシア語の「樽」で(ウクライナ語も同じくБочка)、この店にはウォッカの銘柄が数多く揃っているという。ウォッカを飲もうとしたら、さすがに翌日は休日でなければ心配になる。2連休は、ウォッカのために、またとないチャンスだった。

ウォッカの一杯目は良く知られている「ストリチナヤ」で、これを前菜のザクースカと共に堪能した。それから、店のマスターの御勧めでラベルに熊が描かれているウォッカを飲んだ。ラベルばかりでなく瓶の底にも熊の足跡が彫られているところが面白い。シベリアのエカテリンブルグで製造されているウォッカだそうである。

料理は何を食べても美味しかったが、特にボルシチが素晴らしかった。先週、ビーツで作ったスープに「ボルシチ風」なんて言ったのが恥ずかしくなる。

飲んで食べて、ロシアに精通したマスターの話を聞いた。これがまた楽しかった。そして、マスターは最後に極めつけの一瓶を取り出した。イスラエル産のアラック、つまりトルコのラクである。最後に飲んだ所為か、これがとても効いたように思う。

こうして出来上がってしまうと、一軒では済まなくなるのが酒飲みの常だろう。「ボーチカ」を後にすると、島之内まで歩き、台湾料理の看板を掲げたガチ中華で食べながら、またしても紹興酒を一本空けてしまった。

この店は台湾料理と言いながら、チャヂャンミョンなど韓国風の中華も出す。何故かと言えば、マスターが在韓華僑なのである。

もしやと思って、亡くなった在韓華僑の友人について尋ねてみたけれど、世代が一回り上で、どうやら接点はなかったらしい。しかし、私が下手な韓国語で問いかけたので、結構話が盛り上がった。

そして、この土曜日の晩は、結局、谷町の友人宅で沈没。翌朝は9時過ぎになってようやく起き上がったものの、頭が重たくてはっきりしない。友人は「家にいても何も手につかないだろう」と言い、気分転換に三宮の辺りを歩いてみることにした。

三宮まで出ると、多少目が覚めてきて、あちこち寄り道しながら北野天満宮まで歩いたら腹も減り、「何処かで昼飯を食べて行こう」ということになったので、ハルピン出身の朝鮮族の女性がやっている中華料理屋へ友人を案内した。

朝鮮族の女性はいつも私の下手な韓国語に付き合ってくれていたけれど、友人の中国語を聞いたら、「こんな中国語を話す日本の人を初めて見た。知らなかったら中国人だと思ってしまう」と驚き、「漢族の主人に紹介したいから、今度は晩に来てください」なんて言いながら、とても楽しそうだった。

というわけで、話が弾んで、ここでも昼間からビールをどんどん飲んでしまい、まさしく酒浸りの週末となった。

友人の中国語には誰もが驚くようだ。亡くなった在韓華僑の友人も驚いていた。しかし、前の晩の台湾料理屋のマスターは在韓華僑で、今度は朝鮮族の女性、何だか頭がこんがらがってしまうけれど、大陸には様々な出自のバイリンガル、あるいはトライリンガルが珍しくないに違いない。トルコもそうだったが、国際結婚が増えている日本でも、そのうちバイリンガルなど珍しくなくなってしまうかもしれない。そんな近未来を想像すると何だか楽しくなってくる。

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ボルシチが平和の味となるように・・・

先週、近所の業務スーパーでビーツが売られているのを見て、懐かしさの余り一つ購入してきた。トルコでは「パンジャル(Pancar)」と言い、サラダの具に使われたりしていた。日本では「ボルシチ」の材料として知られているのではないかと思う。私も大豆と鶏肉を加えてボルシチ風のスープを作って見たらなかなか美味しかった。

ところで、私はボルシチをロシアの代表的な料理と思っていたけれど、今、ネットで検索してみたところ、ウイキペディアを始めとする多くの記事が「ウクライナ料理」として紹介している。

私が子供の頃は、ソビエト・ロシアの地方料理という扱いだったのが、ウクライナ共和国の独立と共にウクライナ料理もロシア料理から独立したということだろうか?

考えてみると、ソビエトが崩壊して既に30年が経過している。

2004年頃、イスタンブールのロシア教会で知り合ったウクライナ人女性は、ソビエトに強い郷愁を抱いているようだったが、例えば、高校へ進学する前に崩壊を迎えてしまったゼレンスキー大統領の世代には無縁の感情であるかもしれない。

ゼレンスキー大統領よりも4歳若いクレーバ外相などは、独立したウクライナ共和国の国民として育った世代だろう。

ロシアのウクライナ侵攻は、もともとクリミヤ半島の周辺を取り込んでロシア領内に直結させるのが目的だったのではないかと言われているけれど、当初、キエフ周辺に圧力をかけたのは『それでウクライナが手を上げてくれたら儲けもの』と甘い打算があったという説もある。

それが事実であるとすれば、まさしく「世代間の違いを考慮しなかった大きな誤算」と言えるかもしれない。

しかし、武器の援助を小出しにしている米国・NATOのやり方を見ていると、「米国の目的はウクライナの泥沼化によってロシアを疲弊させること」という説もなかなか的を射てるような気がする。そうであれば、米国の援助を期待したウクライナ側にも大きな誤算があったに違いない。

双方の誤算によって始まった戦争は、双方を疲弊させて大きな被害をもたらしてしまう。一刻も早い停戦を実現させなければならないだろう。そのためにトルコ政府も仲介に尽力している。双方の国民が仲良く食卓を囲んでボルシチを味わえる日が近いことを祈りたい。

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中国のコロナ「大騒ぎ」!

欧米の各国が「コロナは既に風邪」として規制を解除する方向へ進む中、ピーク時の死亡率も遥かに少なかった東洋の日本と中国で大掛かりな対策が取られ続けているのは、いったい何故だろう?

日本の場合、「『対策が取られていないと不安』という世論の声を無視して解除に踏み切ったら選挙に勝てない」という要因も考えられるけれど、選挙の心配がない中国で、上海を完全に封鎖してしまうなど驚くべき対策が取られている要因は何なのか全く見当もつかない。しかも、死亡者は未だ1人も出ていないという。

これは、以下のようにトルコの時事討論番組でも取り上げられたが、出演した識者らも「不可解」と首を捻るばかりだ。

本当に不可解である。そのため、私は、つい余計なことを邪推したくなってしまう。例えば、中国政府はコロナを理由に都市を封鎖して、反体制的な不穏分子等を洗い出そうとしている・・・。 

「ひと昔前の中国なら、理由など明らかにしなくても問答無用で封鎖して一斉に取り締まったかもしれないが、今や民主的な意識も高まり、そう簡単には行かなくなったので、コロナ騒ぎに便乗、取り締まりを強化しているのではないか?」などと妄想を廻らしてみたくなる。

しかし、日本でも「政府はコロナ危機を利用して脆弱な中小企業を整理するつもりだろう」という説が囁かれていた。それが思ったほど巧く進まなかったため、なんとか騒ぎを引き延ばそうと企んでいる?。

まあ、いずれも良くある陰謀論に過ぎないけれど・・・。

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