メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

マスクと迷惑

コロナ騒ぎもようやく落ち着いてきて、街角でマスクをしている人の姿も大分減ったように思える。「コロナ以前に戻った」という声も出ているが、これはどうだろうか?

飲食店等では、未だに従業員の方たちの殆どがマスクをしていて、このまま常態化してしまいそうな雰囲気である。飲食物の香りに敏感でなければならない調理師さんもマスクをしているのは本当に気になる。なんとかならないものかと思う。

現在、私が従事している配送の仕事では、廃棄物をトラックに積み込んだりすることもあるけれど、時折、廃棄物の中に溜まった雨水が勢いよく撥ねて顔にかかり、口の中に入って来たりする。これは余り衛生的ではないはずだが、それで体の具合が悪くなったこともない。

人間、健康な状態であれば、多少不衛生なものを口にしても、そう簡単に病気になったりしないのだろう。ところが、睡眠不足や寒冷等により免疫力が低下していたりすると、衛生に気を使っていても風邪をひいて寝込んだりしてしまう。そんなところじゃないだろうか?

とはいえ、今、衛生を気にしてマスクをしている人たちに、こんな説明を試みたところで何の効果も得られないに違いない。

しかし、街角でも多くの人たちがマスクをしていた頃には、衛生云々よりも、周りの人たちから迷惑に思われないようにマスクをしている場合が大半であったような気もする。

これを「同調圧力」と解釈する向きもあるが、日本の社会では「迷惑に思われてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」という意識がかなり強いのは確かなようである。

こういった意識は、日本の社会の美徳であるかもしれないが、果たしてどうなのだろう?

どういう本で読んだのか忘れてしまったけれど、山本七平が戦後世代の「戦前の人たちは、何故、戦争を防げなかったのか?」という問いに答えていた。

「君の机に片付けなければならない仕事がたくさんあって、それを片付けないと周りの人たちが迷惑するとしたら、君はその仕事を一生懸命にやるだろう? 戦前も皆そうやって働いていたら、戦争になってしまったんだよ」。うろ覚えだが、だいたいこんな内容じゃなかったかと思う。

つまり、「迷惑をかけてはいけない」という意識のために、戦争を防げなかったということであるらしい。

これも「同調圧力」に結びつけて、「マスクを強要する同調圧力は、戦前、人々を戦争に向かわせた圧力と同じである」と論じる人も少なくない。

しかし、今の日本に戦争を起こすようなエネルギーは残っているだろうか? 山本七平は「周りの人たちが迷惑するとしたら、君はその仕事を一生懸命にやるだろう?」と述べていた。この「一生懸命」はもの凄いエネルギーを必要としたはずである。

現代の「迷惑をかけてはいけない」はもっと消極的なものであるかもれない。マスクなどはその典型であるような気もする。戦争を起こす積極的なエネルギーよりは良いのだろうけれど・・・。

ところで、トルコの人たちであれば、山本七平の問いに何と答えるだろう? 

「どういう迷惑?」なんて言い返す人も少なくなさそうである。そのトルコは、もうマスクをしている人など皆無と言っても良い状態らしい。私にはこちらの方がよっぽど健全な社会であるように思われてならない。

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