メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

親が我が子を思う人情

昨年辺りから新聞もスポーツ欄までは目を通さなくなってしまった所為で、阪神の優勝を数日遅れで知るという失態をやらかしてしまった。一時期、熱烈な阪神ファンをやっていたのに、なんと迂闊なことだったのだろう。

「一時期」と申し上げたのは、贔屓のチームが度々変わったためだが、子供の頃から「アンチ巨人」という一線だけは守って来た。

しかし、子供の頃、好きな野球選手を訊かれると、王・長嶋・黒江・末次といった名を挙げて、「それ、皆、巨人の選手だよ」なんて言われたりした。

当時、東京では巨人の試合ばかり放送していたから、他チームの選手たちは余り印象に残っていないのだ。唯一の例外は、最も好きな選手だった「南海の野村克也捕手」である。

もっとも、野村選手の活躍を見る機会はそれほどなかった。そのため、監督になってからの印象の方が遥かに大きいかもしれない。「熱烈な阪神ファン」だったのは、もちろん野村監督の時代である。

野村監督が亡くなって、様々な追悼番組が作られると、それもYouTubeから観たりしていた。その中でも、以下の動画が実に面白かった。楽天時代に野村監督のもとで活躍した山崎武司選手が、亡き監督の思い出を語っている。

www.youtube.com

極めつけは、「監督の家族愛」を語る場面だ。

楽天では、監督の愛息であるカツノリ選手も一軍に在籍していたが、あまりにも成績が悪かったため、業を煮やした球団社長が野村監督のもとを訪れる。球団社長は、同席していた山崎選手の前で、監督に「カツノリ選手を使わないでくれ」と迫ったという。

すると、監督は自分よりも歳の若い球団社長に向かって、「おい、お前、子供おるやろ。俺な、カツノリが可愛いんや!」と言い放ったそうである。

私はこの場面を見て、何故、野村監督が「名将」と謳われるまでになったのか解るような気がした。

例えば、古田監督も栗山監督も、その緻密な野球理論と優れた指導力では全く引けを取らないと思うが、両監督とも野村監督のような「名将」に相応しい実績を残していない。

それは、愛息への溺愛を選手の前でさらけ出してしまう「人情」が足りなかったからではないのか?

世の中には、なかなか合理的には割り切れない所がある。この「人情」はその一つに違いない。山崎選手も監督の「深い愛」には思わず微笑んでしまったのだろう。

merhaba-ajansi.hatenablog.com