メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本の同調圧力と自画自賛

コロナ感染の事態により、トルコでは、65歳以上の人たちに対して、許可無く夕刻以降の外出を制限するような対策がまだ続けられているらしい。

これには不満の声も高まっているのか、7月19日付けサバー紙のコラムでメフメット・バルラス氏は、「コロナ感染に無期限で犠牲となっている65歳以上の国民の状況を理解してもらうのは難しい・・・」などと述べた上で、対策を主導しているコジャ保健相が既に「コロナ相」に成ってしまい、「・・コロナだけに固められ、トルコの本当の保健問題の大きさが解っていない。メディアの魔力に囚われて日々を過ごしている」と批判の矛先をコジャ保健相に向けている。

日本でも何処でもメディアには魔力が潜んでいるらしい・・・。あれだけマスクに抵抗を見せていたトルコの人たちがマスクを着用するようになったのも「メディアの力」によるところが大きかっただろう。もっとも、トルコでは、着用せずに街中を歩いていたりすると罰金が科せられたそうだから、奨励だけで済んでしまった日本とは様相が異なるかもしれない。

かつて、トルコの公的な機関のエリアで女性のスカーフ着用が禁じられていた頃、解禁すると「マハーレ・バスク(町内の圧力?)」により多くの女性がスカーフ着用を強要されてしまうと言われたりした。特定のエリアで着用を禁じることにより、着用への圧力を未然に防いでいるという理屈だったが、この「マハーレ・バスク(町内の圧力?)」を何と訳したら良いのか、当時は弱い頭を悩ませていた。今から考えると「同調圧力」で良かったと思う。

しかし、解禁されても言われたほどスカーフの着用は増えなかった。今回のマスクもそうだが、トルコの「同調圧力」はそれほどでもないらしい。というより、日本の「同調圧力」が凄いのかもしれない。

ところで、神戸の職場の近くにある保育園が以前から気になっていた。外の遊び場では、園児も保母さんも誰一人マスクをしていない。この半年間、ずっとそうである。気になって調べてみたところ、どうやら保育園の運営は直ぐ隣の医療機関であり、従事者の方々が子供たちを預けているようだ。その医療機関は一時期「クラスター」などと呼ばれていたが、従事者の方たちは余り神経質になっていなかったと思われる。

「日本はマスクの着用率がもとより高かったので大事に至らなかった」と良く言われているけれど、マスクが防いでいるのはウイルスの感染であって、重篤化などではないはずだ。そして、日本が大事に至らなかったのは、重篤化が少なかったためで、感染の方はそれほど少なかったわけでもないらしい。おそらく、PCR検査を続ければ、感染者数はもっと増えるだろう。

だから、重篤化の少ない要因を究明しなければならないのに、「マスクの着用」や「清潔」を自賛して喜んでいるのは、いったいどうしたことか? 自賛だけなら良いが、他国の人たちは「不潔でだらしない」かのように論う風潮まで現れ始めている。私はコロナよりもこちらの方が気になって仕方がない。