トルコの放送局の取材に応じて、トルコへの熱い思いを語ったアレクサンドル・ドゥーギン氏は「私たちもチンギス・ハンの子孫である」と明らかにしていた。
ナポレオンの軍を迎え撃ったクトゥーゾフ将軍もモンゴル系の貴族だったそうだから、これはそれほど驚くような話じゃないかもしれない。
そのため、ヨーロッパの人たちは「ロシア人の皮を一枚めくるとタタール人が現れる」なんて揶揄したのだと思う。
一方、ドゥーギン氏の言うロシア人のルーツにおけるギリシャの要素とは、正教のことだろうか?
ドゥーギン氏はアイドゥンルック紙へ寄稿した論説の中で、トルコを独自な文明的領域として成り立たせた要素の一つに「ビザンチン帝国」も数えている。
つまり、トルコもロシアもギリシャの影響(あるいは正教会の要素)を共有しているということなのかもしれない。
トルコにも自分たちのルーツにビザンチン帝国(東ローマ帝国)を含めて語る識者は少なくない。
かつて、ロシア帝国は東ローマの伝統を受け継ぐ者として「モスクワこそが第三のローマ」と主張していたそうだが、そのうち、トルコとロシアの間に「どちらが第三のローマなのか?」などという論争が巻き起こったりしたら面白くなる。
しかし、トルコには、そういった論争に反発する人たちも未だ多いような気がする。
先日は、イスタンブールを訪れたギリシャの外相が、SNSに「コンスタンチノープルへ行く」と記したのを取りあげて、「イスタンブールをビザンチン時代の名称で呼んだ」と難じたニュース番組もあった。
実際のところ、イスタンブールの正式な名称は、オスマン帝国の時代も「コンスタンティニイェ」であり、これがイスタンブールになったのは共和国が建国された後のことである。
ニュース番組の編集者が、この史実を知らなかったはずはないけれど、要するに大衆受けするコメントにしたかったのではないかと思う。