メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

コンスタンティニイェからイスタンブールへ

2011年、セファ・カプラン氏のインタビューに答えた「国外の“イスタンブールのルム”国際協会」の会長ニコラス・ウズンオウル氏は、トルコ共和国の成立以後、国外への移住を余儀なくされた12万人のルムが、トルコへの帰還を希望していると明らかにしている。
 *ルム:
≪ルムとは「ローマ人」のことであり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国ギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫
現在、イスタンブールで暮らしているルムは、約4千人とも発表されているが、その大半は、シリア国境に近いハタイ県から移住してきたアラブ系の正教徒であり、ギリシャ語を母語とするルムは、1千5百人~2千人ぐらいではないかと見られている。
数字がアバウトになっているのは、普段はギリシャ共和国で生活していて、夏季休暇だけイスタンブールのビュユック島やヘイベリ島にある別荘で過ごす人たちがいるためらしい。
オスマン帝国の時代には、どのくらいのルムがイスタンブールにいたのだろう?
このウイキペディア(英語版)のページに、オスマン帝国時代の「1914年」に行われた人口調査の記録が掲載されている。↓

 これによると、当時、約91万と言われたイスタンブールの人口の内訳は、以下の通りである。(トルコ語版には、イスタンブールではなく、「コンスタンティニイェ」と記されているところが興味深い。)
ムスリム「56万人」 / ギリシャ正教徒「20万5千人」 / アルメニア正教徒「7万2千人」 / ユダヤ教徒「5万2千人」
オスマン帝国には、「民族」の概念がなく、国民を宗派によって区別していたので、こういった結果になっているが、56万人のムスリムの中には、様々な言語を話す人たちが含まれていたと思われる。そして、この「ムスリム」が、共和国の成立と共に「トルコ人」として括られるようになった。
詩人のムラットハン・ムンガン氏の祖母は、共和国になって郷里のマルディンからイスタンブールへ移住すると、母語だったクルド語・アラビア語の他に、ギリシャ語を学ぼうとしただけで、最後までトルコ語には興味を示さなかったという。
街区によっては、ギリシャ語のほうが優勢だった可能性もあるだろうか? かつて、ベイオウル~タクシムの辺りの住民は大半が非イスラム教徒だったという話も聞く。
現在、イスタンブールの人口は、1千4百万に膨れ上がったものの、ルムの人口は殆ど底をついてしまった。1914年には人口の22%を占めていたのだから寂しい限りである。
アルメニア人は今でも5万人ぐらい、ユダヤ人も2~3万はいるそうだ。ルムの人たちが、せめて4~5万人戻ってくれば、イスタンブールはもっと華やかになるだろう。
ニコラス・ウズンオウル氏が明らかにしているように、トルコへの帰還を希望するルムが12万もいるのであれば、4~5万はなんとかなるかもしれない。
ルムの人たちが、何故、帰還を希望しているのか解らないが、やはりイスタンブールにはそれだけの魅力があるのだと思う。ルムの故マリアさんは、常々「イスタンブールには美しい都市にあるべき全てのものがある」と語っていた。