メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスタンブールで見た逞しいロシアの人々

ソビエト崩壊後の92年~94年、私はイスタンブールで多くのロシア人を見た。

老若男女を問わず多くのロシア人がラーレリ辺りの歩道に様々な売り物を並べて商いに励んでいた。彼らは、それをロシアから長距離バスで何昼夜もかけて運んで来るのである。

歩道に並べた品々を、通りかかったトルコの人たちに売ろうしても、言葉が通じないので、客と電卓に金額を打ち込み合いながら、交渉が成立すればロシア語で「ダー」、さもなければ「ニエット」と答えて交渉を続ける。

その中にはウクライナベラルーシの人たちもいたはずだが、ほんの3年ほど前まで同じソビエト国民だった彼らを、私たちは皆「ロシア人」と一括りにして見ていたような気がする。おそらく、彼らの間にも未だ強い同胞意識が残っていたのではないかと思う。

冷戦時代、ソビエトは米国と並ぶ大国だったけれど、国民の多くは豊かで贅沢な暮らしに慣れ親しんでいたわけじゃない。だからこそ、ソビエト崩壊後の困窮を耐え忍ぶことができたのではないかと思う。

以下のYouTube動画は、1993年に撮影されたイスタンブールの街角であるという。

1分15秒~2分ぐらいにかけて、ラーレリ辺りの歩道を見ることもできる。

この動画には、歩道で商売しているロシア人の姿は明らかになっていないけれど、1993年であれば、まだ多くのロシア人がいたように記憶している。

私も、当時、この歩道を頻繁に歩いていたから、通行人の中に自分の姿はないものかと探してしまった。懐かしさに思わず微笑んでしまうような光景である。

1993年か4年の夏には、黒海地方を旅行して、トラブゾンの安宿街で、ホテルの前に多くの若いロシア人女性が屯しているのを見て驚かされた。彼女たちは自分の体も売り物にしていたのだ。実に逞しい人たちじゃないかと思った。

以下の「元祖『ナターシャ』」でご紹介した記事を読むと、ロシア革命後、イスタンブールに逃れて来た旧ロシア帝国の貴族の子女たちもなかなか逞しかったらしい。そういったロシア人女性が日本人外交官の妾になり、その後、外交官を殺害してロシアに逃げたなんて話も出て来る。

いつだったか、イスタンブールのブックフェアで筆者のゼキ・ジョシュクン氏と会う機会があったので、記事が事実かどうか訊いたところ、実際の資料に基づいて書いたそうである。

細雪」に登場するロシア人の家族も逞しい。あの逞しさは、多少富裕になったところで失われたりしない、彼らの伝統に根差したものであるかもしれない。

それは今でも余り変わっていないようにも思える。気候条件の厳しさが彼らを逞しく鍛え上げているのだろうか?

現在のウクライナ戦争は、「長引けばロシアが不利」と言われている。

しかし、「我慢比べ」になったら、ロシアは存外に強いような気がする。歴史上、ロシアはその「我慢強さ」を何度も実証してきたという。

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