メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ロシアと西欧の戦争?

マリウポリ陥落前に同地を取材したメフメット・ペリンチェク氏は「アゾフスタリ製鉄所に400人近い西欧の軍人が立て籠もっている」と主張していた。そのため、「ロシア軍は彼らを生きたまま確保する必要があり、慎重に事を進めていた」というのである。

しかし、陥落後、この西欧の軍人らに関する続報は伝えられていない。どうやら、ロシア軍の見込みは外れてしまったようである。

ロシア軍が「ウクライナの軍に西欧の軍人が加わっている」と主張してきたのは、西欧がウクライナに供与した最新テクノロジーの兵器に手を焼いているためらしい。

ペリンチェク氏のような親ロシア派ではないトルコ人識者らの中にも、「西欧は兵器を供与しただけでなく、軍人を派遣して教育や実戦の指示を行わせている」と論じる人がいる。最新テクノロジーの兵器は、それを使いこなせる指揮官がいなければ機能しないからだという。そのため「これはロシアと西欧の戦争である」と論じられている。

一方で、西欧はロシア軍に壊滅的な打撃を与えられる長距離ミサイル等は供与していないそうである。それを供与したら、本当にロシアと西欧の戦争になってしまうだろう。

ロシアは最低限の目標地域を既に実効支配しているが、テクノロジーの面で西欧に劣るため、これ以上進軍するのは難しい。

西欧もロシア軍を占領地域から撃退させるためには長距離ミサイル等を使わざるを得ないが、それは何としても避けたい。

この辺に妥協点を見つけて停戦を実現させるのか、あるいは、このまま膠着状態を続けて完全に泥沼化させるのか、その瀬戸際にあるらしい・・・。

「戦争が長引けばロシアは不利」というのが一般的な見方だろう。しかし、「我慢比べ」になったら、ロシアは存外に強いかもしれない。歴史上、ロシアはその「我慢強さ」を何度も実証してきたと主張する人もいる。

冷戦時代、ソビエトは米国と並ぶ大国だったけれど、国民の多くは豊かで贅沢な暮らしに慣れ親しんでいたわけじゃない。だからこそ、ソビエト崩壊後の困窮を耐え忍ぶことができたのではないかと思う。

崩壊後の92年~94年、私はイスタンブールで多くのロシア人を見た。老若男女を問わず多くのロシア人がラーレリ辺りの歩道に様々な売り物を並べて商いに励んでいた。彼らは、それをロシアから長距離バスで何昼夜もかけて運んで来るのである。

言葉が通じないので、客と電卓に金額を打ち込み合いながら、交渉が成立すれば「ダー」、さもなければ「ニエット」と答えて交渉を続ける。

若い女性たちは、自分の体も売り物にしてしまう。93年か4年の夏、黒海地方を旅行して、トラブゾンの安宿街で、ホテルの前に多くのロシア人女性が屯しているのに驚かされたこともある。実に逞しい人たちだと思った。

以下にご紹介した記事を読むと、ロシア革命後、イスタンブールに逃れて来た旧ロシア帝国の貴族の子女たちも凄く逞しかったようだ。そういったロシア人女性が日本人外交官の妾になり、その後、外交官を殺害してロシアに逃げたなんて話も出て来る。

いつだったか、イスタンブールのブックフェアで筆者のゼキ・ジョシュクン氏と会う機会があったので、記事が事実かどうか訊いたところ、実際の資料に基づいて書いたそうである。

細雪」に登場するロシア人の家族も逞しい。あの逞しさは、多少富裕になったところで失われたりしない、彼らの伝統に根差したものであるかもしれない。これは今でも変わっていないようにも思える。

「豊かになった欧米の人たちには無理だが、ロシア人は未だ戦争が出来る」という声も聞かれる。今後の展開はいったいどうなることだろうか?

イスタンブールロシア正教の教会で祈る人たち。(2016年1月)