メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

貴方はそれを自分の目で確認したのか?

 トルコ語では、伝聞・推量を明らかにしたい場合、「ミシ(母音調和により“ムシュ”等に変化)」という語尾を使ったりする。
例えば、「ゲル(来る)」の過去形は、「ゲルディ(来た)」で良いが、これが「来たそうだ・来たらしい」といった伝聞・推量の過去になると、「ゲルミシ」という形に変わる。
ジャーナリストのような人たちは、これをかなり明確に使い分けていて、「ゲルディ(来た)」と表現した後で、「ごめん、まだ来たことが確認されていないから、『ゲルミシ(来たそうだ)』に訂正したい」なんて言ったりする。
これを「ゲルディ(来た)」と言い切りながら論じると、「貴方はそれを自分の目で確認したのか?」と突っ込まれてしまうようである。
そのためか、私も、日本のメディアで、トルコに関する否定的な論説が、「~だそうである」とか「~らしい」ではなく、断定的に語られたり、記されていたりすると、『おいおい、貴方はそれを見て来たのかよ?』などと文句を言いたくなる。
しかし、日本語の文章では、「~だそうである」「~らしい」「~と言われている」等々を続けていると、なんだか格好がつかなくなってしまうような気もする。
こうしてみると、トルコ語は、とても表現力が豊かで、尚且つ、なかなか合理的な言語じゃないかと思う。

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