何処で読んだのか忘れたけれど、ハンガリーのマジャール人は、「回転ドアに後から入って、先に出て来るような人たち」などと言われているらしい。
どうやら、機敏で抜け目がないと思われているようだが、ハンガリーを訪れたこともなければ、マジャール人の知り合いもいないので、何故、そこまで言われてしまうのか、私には良く解らない。
しかし、騎馬民族への関心から、トルコに嵌ったくらいで、マジャール人やマジャール語についても色々調べてみたことはあった。マジャール語は、ウラル・アルタイ語系に数えられ、日本語と似ている所もあるが、なかなか複雑で変わった特徴が少なくないという。
例えば、日本語と同様、「~を」「~に」「~へ」といった助詞(接尾辞)が語尾について“格”を表しているものの、その格の種類が非常に多く、様々な情報を短い語尾の中に盛り込めるそうである。
そういう情報密度の濃い言語を使っている人たちは、やはり情報処理能力も高く、機敏で抜け目がなくなるかもしれない。
残念ながら、マジャール語の具体的な例文は覚えていないが、トルコ語も多様な接尾辞を持つ、なかなか情報密度の濃い言語じゃないかと思う。以下に、そのトルコ語の例を一つ示すことにする。
Türkleştiremediklerimizdensiniz(テュルクレシティレメディックレリミズデンスィニズ)
多くの接尾辞を伴ったこの一言で、「貴方(たち)は、私たちが、トルコ人化させることが出来なかった人たちの中の1人(あるいは複数)です」という意味になる。
トルコの人たちに関して、「機敏で抜け目がない」という俗説は余り聞かないけれど、やはり平均的に情報処理能力の高い人が多いような気もする。
また、上記の例文にも使役の接尾辞が使われているように、使役や受け身の形が自由自在に使えることで、色々な言い回しが可能になっている。
「働かされる」と一言で表現できるし、受け身によって主語を明らかにしない曖昧な表現もお手の物である。
そのためか、はっきり「ノー」と言わずに、相手を気遣って、曖昧な表現で伝えようとするなど、なんだか発想のしかたが日本人に似ているのではないかと思わせたりする。
一方、韓国語は、文法が最も日本語に近い言語ではあるものの、受動態にならない動詞もあったりして、受け身の表現は非常に少ない。韓国の人たちは、はっきり「ノー」と言うことが多くて、日本人との違いを感じさせるけれど、これも言語の性質に由来しているのかもしれない。