メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

四海の内は皆兄弟(死生命あり、富貴天に在り)

《2014年1月4日付け記事の再録》

経済と気持ちの面で余裕のない生活を続けてきた所為か、正月に年賀状を出すのは、もう随分前に止めてしまった。それでも、一昨年(2012年)ぐらいまでは、メールで新年の挨拶などを少し送ったりしていたが、それも殆ど書かなくなった。だから、私のところへも正月にメールが来ることはない。
と思っていたら、今年(2014年)は一通、ごく簡単な新年祝いのメールが届いた。ソウルの明仁からだった。
明仁は在韓華僑の友人。昨年の4月にソウルを訪れた時は、とても世話になった。いつも韓国語の発音で“myongin”と呼んでいるけれど、中国語の発音は“ming yen”であるらしい。これをそのメールで初めて知った。

それで明仁にハングルで返信を書き、もう一つ、やはり4月のソウルで世話になった韓国人の友人李さんにも簡単な新年祝いをハングルで書いて送った。そしたら、翌日、李さんから丁重な数行にわたるメールが返って来た。如何にも律儀で実直な李さんらしいメールだった。
李さんは、亡くなった明仁の兄の友人である。80年代の中頃、ソウル近郊の龍仁で、明仁らのお父さんが経営していた中華料理屋へアルバイトに来ていたそうだ。彼はその頃、韓国外国語大ドイツ語学科の学生だったが、中華料理屋がキャンパスに近いから来ていたらしい。
ところが、そこで明仁の家族と知り合い、家族が話す中国語に興味を覚えて勉強し始めたら、ドイツ語は何処かへ行ってしまい、卒業すると、ドイツではなく台湾に留学したと言うから、ちょっと変わっている。亡くなった明仁の兄は「彼の中国語は完璧だ」と評していた。

 さらに、李さんのメールアドレスが、またちょっと変わっていて、間に“sihai”という文字が入っている。“四海”の中国語の発音だと言う。
“四海”は、
論語の以下の一節に出て来る“四海”である。
「死生命あり、富貴天に在り。君子は敬して失なく、人と恭々しくして礼あらば、四海の内は皆兄弟たり」
中国では、この“四海の内は皆兄弟”という言葉が、今でも頻繁に使われるらしい。私も“死生命あり”から始まるこの一節が大好きだ。今年が、これに相応しい1年になることを祈りたい。

しかし、現実の世界では、今年も日中関係は芳しくないようだ。“四海の内は皆兄弟”からはほど遠い。ネットの記事を読んでも、“中国崩壊!”なんて言葉がたくさん出て来る。
これが単なる“ガス抜き”を狙っているのであれば、『日本はいつからこんなガス抜きが必要な国になってしまったのか・・・』と悲しくなっても、ある程度は納得できるけれど、本気で“崩壊”を期待して、それによって戦略を立てようとしているのであれば、なんだか血の気が引いてしまう。

これでは、トルコの野党勢力と全く変わるところがない。
例えば、将棋の場合、相手は必ず最善手を指して来ると想定して、次の一手を考えなければならないはずだ。相手の悪手を期待しながら指したら、大概負けてしまう。

太平洋戦争もそうやって負けたような気がする。これは本当に恐ろしい。

merhaba-ajansi.hatenablog.com

 

 

元旦の御馳走!

昨日は元旦ということもあって久しぶりにワインを飲んだ。近所のドラッグストアで売っている400円ほどの格安チリ・ワインだけれど、なかなか美味い。私はこれで充分である。

つまみも近所のスーパーで買って来た「ママカリの酢漬け」。福岡にいた頃、良く食べていたので、懐かしく思って年末から用意してあった。私は鮨でも「コハダ」や「シメサバ」みたいなものが大好きなのだ。

飲むと言ってもコップに一杯だけ。最近、アルコールは「付き合い酒」だけにしてしまって、うちで飲むことは殆どない。この2週間ぐらい、アルコールは全く口にしていなかった。

なにしろ今の御時世、風邪を引くこともままならない。職場で鼻水垂らしたり咳き込んだりしたら「PCR検査だ!」とか言われて大騒ぎになる。

それで、アルコールは免疫力に影響を与えるそうだから控えることにした。とにかく「健康第一」である。

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初詣は高砂神社へ!

明けましておめでとうございます!

新年は職場で迎え、うちに帰ってひと眠りしてから初詣に出かけました。

コロナ騒ぎの中、鹿児島にも何処にも行けないので、自転車で20分ほどの所にある高砂神社へ。あの結婚式で謡われる「高砂やあ~♪」の高砂神社です。

境内には「相生の松」もあり、縁結びの神社として知られています。そのため、高砂市は「ブライダル都市」を宣言しているけれど、今年はこの私にも何か良いことあるでしょうか?

あったら恐ろしいような気もしますが・・・。

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83歳のマエストロは青春の真っ只中!

今年はベートーヴェンの生誕250周年であるそうだ。そのため、大晦日の恒例になっている「第9」の演奏会が各地でひときわ盛大に催されるはずだったが、これもコロナ騒ぎの影響を受けているかもしれない。

私にとってもベートーヴェンは、今まで最も良く聴いた作曲家じゃないかと思う。「ピアノ協奏曲4番」であるとか「バイオリン協奏曲」「ロマンス1~2番」など、いったい何回聴いたのか見当もつかない。ほぼ毎日のように聴いていたこともある。

しかし、「第9」は余りにも長大である所為か、全曲通して聴くことは滅多にない。大概の場合、合唱付きの第4楽章だけ聴いたりしている。

「第9」に限らず、交響曲などを全曲最後まで聴き通すと結構疲れる。それで、その時の気分に合った楽章だけ聴いて終わりにすることが多い。

「田園」の第2楽章は、小学生の頃、図書館の閉館のBGMに使われていたのを聴いて好きになって以来、半世紀に亘って聴き続けてきたけれど、これも殆ど第2楽章だけで他の楽章まで聴くことはなかった。

ベートーヴェン交響曲であれば、全曲通して聴くのは「第7」が最も多いと思う。何故なのか解らない。メリハリが利いていて聴きやすいためかもしれない。

以下のYouTubeの動画は、その「第7」を81歳のカール・ベームが日本公演で指揮した演奏である。

演奏が終わると、着物姿の女性が舞台に現れ、ベームに花束を贈呈する。ベームは軽く握手して、その花束を受け取っている。

ところがである。2年後の日本公演で「第5」を指揮した時の模様もYouTubeで観ることが出来るけれど、演奏が終わって舞台に現れた着物姿の女性は、前回より遥かに若くて可愛らしい感じがする。

そしたら、ベームは握手だけで済まさず、彼女をぐっと引き寄せて頬を撫で、ブチュっと熱烈にキスしてから花束を受け取り、喜色満面の笑みを浮かべたのだ。

当時、ベームは83歳! 『なんていうエロ爺さんなのか!』と驚いたが、マエストロは青春の真っ只中にいたのかもしれない。そのぐらいじゃないと、とても音楽なんてやっていられないのだろう。還暦の鼻たれ小僧はまだまだ頑張らなければと思った。

それでは、皆さま良いお年を!


貝姆指揮貝多芬第七交嚮曲 (東京) Beethoven Symphony No.7, Karl Böhm


Beethoven Symphony 5 VPO Karl Böhm 1977

 

宗教に対する偏見/イスラムへの誤解

2014年の8月、イスタンブールで在留日本人の方に「クリミア・メモリアル教会」を案内していただいた。

この方は業務でトルコに出向中のエンジニアで、熱心なプロテスタントのクリスチャンだったが、「トルコにいると、クリスチャンに対する偏見が感じられない」と話していた。日本では少なからず感じられるそうだ。

確かに、私も含めて多くの日本人が、キリスト教に限らず、宗教全般に対して、ある種の偏見を懐いているかもしれない。

「宗教を熱心に信じている人=少し変わった人」という認識が結構はびこっているのではないだろうか?

しかし、その方も、トルコへ来る前は、多少なりともイスラムに対して誤解があったらしい。それで、「我々クリスチャンが、こういった誤解を解くために、率先して動かなければならない」と言うのである。

実にありがたいことだと思った。私がこうしてトルコでの見聞を書き続けているのも、トルコやイスラムに対する誤解が甚だしいと感じているからだ。

しかし、力のない矢はいくら放ったところで何処にも届かない。直ぐそこに落ちてしまう。私はその落ちた矢に囲まれて意気消沈している。

例えば、「イスラム政教一致の宗教」と言うけれど、それに近いことをやっているのはサウジアラビアとその周辺にある国々ぐらいだろう。

トルコはオスマン帝国の時代から西欧化と政教分離を進めて現在に至っている。この政教分離が覆ってしまうのは妄想の世界のお話だと思う。

一方のサウジアラビアは、オスマン帝国の辺境に過ぎなかった。それが今や「スンニー派の盟主」などと呼ばれている。そして、この過激で退嬰的なイスラムの国を支えて来たのは米国に他ならない。

ところが、その米国の元CIA局員が今になって、サウジアラビアは「貧しいイスラム諸国へ不寛容なワッハーブ派の教義を広める、石油の財力に依存した地政学的な冗談」であると言い放っている。

「歴史的な深みに乏しい」とか「重要な地方文化も、深い知的な伝統も、学問あるいはテクノロジーや発見もない」とか、ボロカスに貶しているのだから呆れてしまう。

「冗談は300年の歴史しか持たない不寛容な貴方の国じゃないのか」と言いたくなる。

東欧のボスニアヘルツェゴビナも国民の殆どはイスラム教徒である。ロシア連邦内のタタールスタン共和国もそうだろう。いずれも政教分離の国であり、人々は至ってモダンな生活を営んでいる。

イスラムと言えば、サウジアラビアやエジプトばかり取り上げられて、こちらが話題になることは殆どないようだ。なんとも理不尽な感じがする。

フィギュアスケートザギトワ選手もイスラム教徒だというけれど、これも余り知られていないだろう。

彼女は日本のラーメンが好きでも、食べられるのは鶏肉だけで、豚と牛は駄目らしい。そこに宗教的な理由があるのかどうか解らないが、もしもそうだとすれば、ロシアのイスラム教徒としては結構信仰があるほうなのかもしれない。

 

 

アルプス交響曲/侘しい年の瀬

《2008年12月29日付け記事を修正して再録》

リヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲の冒頭、あの夜明けの場面を聴くと、何だか雄大な山の景色が迫ってくるように感じられる。

しかし、あれは本当に曲を聴いて山の景色が連想されたのか、それとも、もともと「アルプス交響曲」と銘打ってあるため、そう思って聴いているだけなのか、その辺がどうにも良く解らない。

高校生の頃、以下の駄文で記した友人に訊いてみたら、「その両方だろう」と笑っていた。

例えば、この曲を聴いたことがない人に、曲名を伏せた上で聴いてもらい、「どんな光景が連想されるか?」と尋ねたら、何という答えが返ってくるだろう? 

「ワイキキビーチの夕暮れ」と答える人はいないように思えるけれど、これも勝手な思い込みかもしれない。

そもそも、今の日本でこの曲を全く耳にしていない人がいるのか、それも確かめておかなければならないと思う。テレビのコマーシャルとかドキュメンタリー番組で、雄大な山の景色を背景にBGMとして良く使われているような気がするからだ。

ひょっとすると、私がこの曲を聴いて山の景色を連想するのは、そういったテレビ番組等の映像が頭の片隅に残っていて、曲を聴く度にそれが呼び起こされるからであり、初めて聴いたと思い込んでいる人にも同様の効果がもたらされる可能性がある。

ペールギュント組曲の「ソルヴェイグの歌」を聴いても、寒々とした景色が連想されるが、考えて見ると、これも子供の頃、テレビで寒々とした雪景色を背景にこの曲が流され、「寒い冬には◯◯ストーブ・・・」なんて言うコマーシャルを見ていた記憶がある。

また、ペールギュント組曲の作曲者がノルウェーの人であり、「ソルヴェイグの歌」がノルウェーを舞台に歌われることも予め知っているので、そう思って聴いているだけなのかもしれない。

しかし、「ソルヴェイグの歌」が物悲しい曲調であるのは確かだろう。物悲しさは寒々とした雰囲気を醸し出すように思える。「アルプス交響曲」で雄大な雪山は連想されても、あの夜明けの華々しさでは、一向に寒々としてこないから、ストーブのコマーシャルには使われていないようである。

なんて、また無駄なことを考えてしまった。寒い寒いと縮こまっていれば悲しい気分になるし、悲しい気分に浸っていると周囲は一層寒々として来る。寒さと悲しさの相乗効果だろうか? 今年も侘しい年の瀬を迎えている。


Richard Strauss - Eine Alpensinfonie Op.64


Grieg: Peer Gynt Suite No.2, Op.55 - 4. Solveig's Song

「イスラムの土葬」

《2017年6月22日付け記事の再録》

2016年の10月だったか、「韓国で、火葬の割合が80%に達した」というニュースを読んだ。1988年、私が韓国に滞在していた頃は、土葬が殆どであり、火葬には強い抵抗を示す人たちが多かったので、何とも言えず時代の移り変わりを感じてしまった。
それから、2ヶ月ほどして、今度は、「イタリアで、火葬の割合が20%・・・」というニュースを読み、ちょっと驚いた。
韓国の場合、土葬を続けると、近い将来、国土の大半が墓地になってしまう恐れがあるため、火葬の普及に取り組んできたわけだが、イタリアは、火葬が未だ20%で大丈夫なんだろうか?
また、イタリアに限らず、キリスト教では、火葬を嫌がる傾向が強いと言われているので、他のキリスト教の国々の状況も気になってしまう。
もちろん、火葬はイスラム教でも拒絶されている。しかし、イスラムの土葬は、特別な布で覆った遺体を、そのまま地中に埋めて、遺体が土に戻れば良く、その後、また別の遺体を埋葬することも出来るそうだから、墓地がどんどん増えていく心配はないという。(ユダヤ教の土葬もほぼ同様であるらしい)
キリスト教による埋葬の仕方は、遺体を棺桶に収めた状態で、棺桶ごと地中に埋めるため、墓地は際限なく増えていく可能性があるらしい。
2007年の4月に亡くなったルムのマリアさんも、立派な棺桶に収められ、イスタンブールはシシリーのギリシャ正教徒の墓地に眠っている。

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≪ルムとは「ローマ人」の意であり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国ギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫

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そういえば、このギリシャ正教徒墓地も、イスタンブールのど真ん中に、かなりの面積を占めているけれど、イスタンブール市内にあるギリシャ正教徒やアルメニア正教徒の墓地は、現存していらっしゃる方々の人口に比べて、異様に多いような気もする。
ところで、アトランティック・レコードの創業者であるアーメット・アーティガン氏(トルコ語ではアフメット・エルテギュン)は、ウスキュダルのオズベックレル・テッケスィ(オズベックレル僧院)にあるイスラム教墓地へ埋葬されたが、それはイスラムによる土葬と少し異なっていたようである。
2006年の12月にアメリカで亡くなったアーメット・アーティガン氏の遺体は、故国に運ばれて、イスラムの葬儀が営まれたものの、キリスト教徒であるアーティガン氏の未亡人は、夫の遺体が布に覆われただけで地中に埋められるのを拒み、棺桶に収められたまま埋葬されるように望んだという。
しかし、それでは「亡骸を土に戻す」というイスラムの埋葬法に相応しくないため、「棺桶の窓を閉めずに、そこから入っていく土と遺体を接触させる」という折衷案が採用されたそうだ。

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マリアさんが眠るお墓

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アフメット・エルテギュン氏家族のお墓