「飛んでイスタンブール」では、「光る砂漠でロール~♪」なんて歌われていたけれど、もちろんイスタンブールの近郊に砂漠があるわけじゃない。冬は結構寒くて雪もかなり降る。
そもそも、イスタンブールの正式な名称は、オスマン帝国が滅亡した1923年まで「コンスタンティニイェ」だったという。
つまり「コンスタンティン帝の都」であり、欧米では「コンスタンティノープル」と呼ばれていたのである。
例えば、東ローマ帝国の「コンスタンティノープル」から砂漠を連想する人がいるとは思えない。
東ローマ帝国の領域に位置して、その文化も少なからず受け継いでいるトルコを、私はヨーロッパの国であると考えてきたけれど、多くの人たちにとって、トルコは中東の国であるらしい。
これに、欧米のオリエンタリズムの影響があると思うのは、私の偏見だろうか?
トルコに取材した日本のテレビ番組では、やたらと中東や中央アジアのイメージで見せようとしている例も少なくなかったような気がする。
20年ほど前、トルコの遊牧民の生活を紹介した番組があった。番組では、ラクダに家財道具を積んで移動する遊牧民の姿が描かれていたらしい。
しかし、番組の制作に関わった方から聞いた話によれば、当時は既に遊牧に携わる人たちを見つけるのも難しかったうえ、ようやく探し出した「遊牧民」は、移動にトラックを使っていたそうだ。
それにも拘わらず、番組のディレクターが「ラクダによる移動」に固執したので、シリアとの国境付近の村からラクダを調達してきたものの、その「遊牧民」はラクダの扱い方が解らなかったため、ラクダを使いこなせる人も合わせて手配しなければならなかったという。
なんとも御苦労なことだけれど、それはやはりオリエンタリズムの成せる業だったのではないかと思う。