メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

犠牲祭の生贄

トルコでは7月20日に始まった犠牲祭も今日(7月23日)で終わる。コロナ騒ぎの中、犠牲祭は盛り上がっていただろうか?

犠牲祭の期間中には、メッカへの大巡礼も行われるが、こちらは規模を縮小して実施されることが報じられていた。

トルコでも「生贄の屠殺」などに相当な規制がかけられていたのではないかと思う。

そもそも、「生贄の屠殺」は、この20年ぐらいの間に年々規制が強化されて来た。

私が初めてトルコで暮らした1991年には、非常に西欧的なイズミルの街角でも、犠牲祭に羊がばっさりという光景を見ることができたけれど、AKP政権が所定の施設以外での屠殺を禁じてからは、都市部でそういった光景を目にすることはなくなった。

エルドアンのAKP政権により「トルコのイスラム化」が取り沙汰されていたものの、規制強化の影響を受けたのか「生贄の屠殺」は減少の一途を辿っているように思える。

トルコに居た時分、私は犠牲祭の行事になるべく参加するように努めていたが、あの屠殺の光景は何度見ても気分の良いものではなかった。

毎年、屠殺に立ち会っていたトルコ人の友人に訊いても、やはり切られる瞬間には思わず目を背けたくなってしまうそうだ。

おそらく、こちらが多数派なのだろう。そのため、減少の一途を辿っているのではないかと思う。

男でも目を背けたくなってしまうくらいだから、女性の中には嫌悪していた人も少なくなかったに違いない。

20年ほど前は、まだイスタンブール市内の空き地でも生贄の羊を切ることが出来たため、友人の家族は犠牲祭に皆で羊を切りに出かけていたけれど、奥さんは肉になった羊を家に持ち帰った後も「可哀そうな羊」と言いながら涙をこぼしていた。そして、泣きながら肉の選別を亭主に指示していたのである。

犠牲祭の意義は、愛おしい動物の命を捧げて得られる肉の有難さを神に感謝する所にあると言うから、私は奥さんの流した涙にこそ犠牲祭の意義が込められていると思って感動していた。

ところが、規制が強化されて市内での屠殺がかなわなくなると、友人家族も数世帯共同で牛を一頭購入し、友人と長男だけが郊外の村で行われる屠殺に立ち会い、奥さんは家で待っているだけになってしまった。

夕方、屠殺解体された肉の割り当て分が家に運び込まれると、奥さんは屠殺の過程を亭主に訊き、立ち会っただけで切るのは専門家に任せたと明らかにされたら、「まあ、あの人たちはいったい一日に何頭の牛を切るのかねえ?」と顔を顰め、「あの人たちはジェラット(cellat=死刑執行人)だよ!」とかなり差別的な言葉を使った。

これを聞いて、私は以前懐いていた感動も吹き飛んでしまい『差別とはこうして生まれるのか?』と嘆息するよりなかった。

現代の私たちは、屠殺という言葉も「屠畜」に置き換え、「殺」という文字さえ出来る限り見ないようにしている。

私も羊や牛の屠殺を見るだけで気分が悪くなるのだから、「自分で切って見ろ!」なんて言われたら震えあがってしまうだろう。

40年近く前、私は住んでいたアパートの部屋に出て来たネズミを一匹始末するだけで胆がつぶれるのではないかと思った。

生贄として羊を捧げる風習は、中国にも見られたそうだが、孔子の時代、既にこれを忌避する人たちもいたらしい。論語の八佾第三に次のような一節があった。

-子貢欲去告朔之饋羊。子曰、賜也、爾愛其羊。我愛其禮。-

「子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子日わく、賜や、女は其の羊を愛しむ。我は其の礼を愛しむ。」

孔子はその礼が継続されることを望んでいたのである。しかし、それは孔子の願いもむなしく途絶えてしまった・・・。

果たして、トルコの犠牲祭における「生贄の屠殺」もいつまで続けられるのか心配になるけれど、「殺」や「血」を遠ざけたくなるのは何処でも同じなのだろう。

最後に、2008年12月、トルコのラディカル紙で、ヌライ・メルト氏が犠牲祭について書いた記事の拙訳の一部を以下に貼り付けることにする。現代の日本で、実に多くのことを考えさせてくれる記事ではないかと思う。

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モダンな文明と言われるものは、ある側面、こういった偽善的な状態のことではないだろうか? 肉、それも生肉に近いような肉の料理(ローストビーフ、燻製肉、タルタルステーキ)を食べながら、一つの命が失われたことは全く考えないように努める。問題はここに始まって、人間の死に対する態度にまで至る。モダンな人間として、死を頭の片隅から遠ざける為に、あらゆる方法を駆使する。もっと悪いことには、人の命を奪う戦争について正しく追究する代わりに、“戦争反対”と言って自分自身を慰めようとする。

死をもっと真摯に考えていれば、こういう風にはならなかっただろう。戦争は、数人の狂った、或いは悪質な政治家の所業であるという虚構に逃げ込もうとしなければ、自分自身の責任にもっと気がついただろう。ある人々(我々も含む)が、より快適な生活を営む為の代償を、他の人々が貧困と挙句の果てには命によって支払っている連鎖の中にいることを考えなければ、我々を悩ませている状況は変わらないだろう。

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