メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの「社会的な距離」/日本の「新しい生活様式」

トルコでも、コロナ予防対策として欧州に倣った「社会的な距離」などというものが奨励されているらしい。フェイスブックにトルコの友人が、この「社会的な距離」への戸惑いを書き記していた。

友人は、30年ぐらい前に日本を訪れた際、京都の烏丸ホテルのロビーで目撃した話から書き出している。二組の女性たちが、出会ってから何度も何度も深々とお辞儀し合った後、ソファーに座り、実に嬉しそうに話し込んでいたらしい。友人の推測によれば、おそらく、かなり長い間会っていなかった友人たち同士に違いなかった。

「私たちだったら、再会を喜んで相手を抱き、匂いを嗅ぐだろう。ところが、その日本人たちは相手に触れようともしなかった。コロナのために私たちまでそういう日本人のようになってしまうのだろうか?」と友人は嘆き、抱きしめ、匂いを嗅がなければ情は伝わらないと言うのである。

この「匂いを嗅ぐ」というのはトルコ語で親密さを表現する言葉だろう。なにもクンクン匂いを嗅ぐという意味ではないはずだ。有名なポップス歌手タルカンの歌にも「君の匂いを嗅いでやる」という台詞があった。しかし、私はこの表現を耳にすると、直ぐナポレオンのチーズとジョセフィーヌの話を連想してしまう。

さて、トルコにおける「社会的な距離」の問題だけれど、友人が心配する「トルコ人が日本人のようになってしまう」恐れは、多分ないと思う。喉元過ぎれば何とやらで、コロナの事態が収束したら、トルコの人たちは、また再会を喜んで抱きしめ合うのではないだろうか?

これは、日本でも同様であることを願う。「新しい生活様式」だか何だか知らないが、そんなものが定着するとはとても考えれない。トルコや欧米の人たちみたいに、同性同士で抱き合ったりするのは、この機会に廃れてしまえば結構じゃないかと思うものの、恋人同士なら抱き合うのが当たり前だろう。

「向かい合わずに並んで飯を食え」とか「距離を詰めて話すな」とか、いったい若者たちにどうやって恋に落ちろと言うのか? そもそもマスクなんてしていると恋も芽生えなくなってしまう。私みたいな恋の叶わぬ青春落伍者がぞろぞろ出て来て、少子化どころの騒ぎじゃなくなるに違いない。それこそ日本民族存亡危機である。