メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アライルとメクテップリ

トルコ語に、“アライル”“メクテップリ”という言い方があって、私はこれを一昨年、宗教科の教師を務めていた友人から教わった。
“アライル”とは、正規な学校教育を受けずに、実社会の中でいろいろ学んで来た人で、これに対して“メクテップリ”は、大学等で学問した人、“正統派”ということだろうか。“アライル”は、“亜流”といった感じかもしれない。
友人は、「まあ、君も“アライル”だが」なんて笑いながら、この“アライル”“メクテップリ”の違いを教えてくれたけれど、何故、そんな話になったのかと言うと、トルコで“ジェマート(教団)”と言えば、既にこの教団のことを指すと言われているフェトフッラー師の教団に関する話題からだった。
フェトフッラー師の教団は、世界各国でトルコ語の学校を運営していることでも有名だが、ザマン紙、サマンヨル放送といったメディアも傘下にあり、トルコの社会で隠然とした力を持っている。
フェトフッラー師は、その斬新でモダンなイスラム解釈で知られているけれど、友人は「まあ、あの人は“アライル”だから・・・」と言うのである。確かに、フェトフッラー師は、大学の神学部といった所で、正規の学問を受けて来たわけではないらしい。
そう言う友人は、コーラン教室から導師養成学校(イマーム・ハティップ)、アンカラ大学神学部と絵に描いたようなエリートコースを歩んできた宗教者だ。友人によれば、フェトフッラー師は、以前なかなか斬新な解釈を説いていたが、最近はそれに陰りが見えている、教団の不透明な構造も問題であると、かなり批判的だった。
しかし、フェトフッラー師自身は“アライル”かもしれないが、教団には“メクテップリ”のエリートもたくさんいるようだし、社会の中で力をつけて来て、“亜流”から“正統派”への脱却を図ったようにも見える。その為に、斬新さを失ったのだろうか?
ギョカチト氏の著作でも、フェトフッラー師の教団は、社会の変化への対応が早かったと評価されていた。これに対して“メクテップリ”は、どうも動きが遅かったようである。
以前知り合ったフェトフッラー教団の方は、“ミッリギョルシュ(国民の思想)”のエルバカン氏を「時代に取り残されている」と批判していた。
90年代、私が初めてトルコへやってきた頃、世間のフェトフッラー教団への風当たりはなかなか強かった。ザマン紙なんて読んでいると「そんな新聞読んではいけません」などと注意されたりもした。これには“正統派じゃない”という認識があったかもしれない。
例えば、AKP政権に批判的な人たちの中には、ギュル大統領を中傷しようとして、「あれは、隠れフェトフッラーらしい」なんて言う人が少なくなかった。ギュル大統領は、もちろん“ミッリギョルシュ(国民の思想)”から来た人物だと思うが、こちらは中傷のネタにならないのに、“フェトフッラー”になると忽ち中傷になってしまうのはなかなか興味深かった。
この数年、AKPとフェトフッラー教団の間に、以前のような親密さがなく、齟齬が生じているのではないかという噂が絶えないが、“ミッリギョルシュ(国民の思想)”の人たちからすれば、「あちらは所詮“アライル”でしょう」ということなのかもしれない。
一般に、トルコの人たちは、この“正統性”をとても気にする。世界何処でもそうかもしれないが、特に激しいのではないかと思う。それで、学歴にもうるさいのだろう。
オスマン帝国は、長い歴史の中で、絶対的な正統性を得ていたから、これを倒して新しい体制を樹立したトルコ共和国は、正統性を獲得するため、アタテュルクをある程度神格化せざるを得なかったような気がする。
私たちは、よく“文明の十字路イスタンブール”“幾多の民族が興亡を繰り広げたアナトリアの大地”なんて言葉を簡単に使っているけれど、考えてみたら、コンスタンティヌス大帝が330年に都を築いて以来、この都市の正統的な体制は、まだ2回しか交替していない。北京はいったい何回交替しただろうか?
“文明の十字路”に位置し、複雑な地政学的条件を持っているから、この地の人たちは、争いごとを最小限に食い止めようとして“正統性”を重視してきたのかもしれない。既に、ゆるぎない正統性を得ているアタテュルクの共和国にも、これから先、かなり長い歴史があるように思える。また、そう思いたい。