メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

“穏健な保守主義者”のケバブ屋さん

うちの近所に、昨年の6月、開店したジャー・ケバブ屋さん。50代後半と思しきお父さんと息子さん、そして、親族の人たちが入り代わり立ち代り応援に駆けつけて、店を切り盛りしていたが、彼らよりお客さんの方が少ない時も多かったりして、『いつまで持ちこたえるのか?』と心配だった。
しかし、1年が経ち、最近はお客さんも増えて、なんとか軌道に乗ったようである。週に7日、日曜日も休まずに頑張って来たからだと思う。7月、ラマダンには休業せざるを得ないが、店の家賃もそれほど高くないので、何とか乗り切れるそうだ。
このイエニドアンの街は、敬虔なムスリムが多く、毎週、金曜礼拝の時間帯(昼1時頃)は、殆どの店が昼休みを取ってしまうくらいだから、ラマダンに店を開けても、印象を悪くするだけで、全くソロバンに合わないのだろう。
しかし、隣接するスルタンベイリ区は、イスタンブールで最も“敬虔な街”の一つとして知られているけれど、メインストリートの辺りは家賃も高く、1ヵ月丸々休んでしまうわけには行かない為、ラマダンに営業を続ける飲食店も少なくないらしい。暑い中、自分は断食しながら、料理を作り、来客を待つ店主もいるだろう。
アナトリア東部エルズルム県の出身というジャー・ケバブ屋さんの人たちは、まさしく“穏健な保守主義者”だが、彼らは決して無教養じゃないし、“遅々として前進しない”どころか、お父さんは50歳過ぎてから、見様見真似で飲食店の経営に乗り出したのである。

一度、店にお父さんの奥さんの兄という人が来ていたけれど、この人にはびっくりした。法学部を出て、長らくエルズルムで事業を営んでいたそうだが、まず世界情勢に詳しく、日本の文化、韓国や中国との外交関係に至るまで、実に良く御存知だった。
敬虔なムスリムで、宗教の知識も並大抵ではない。お茶を飲みながら、1時間以上も雑談してしまった。その際、イスラムを棄て、キリスト教に改宗したトルコ人の友人について話したところ、穏やかな表情を崩すこともなく、「まあ、そういう人がムスリムであり続けても、イスラムの世界に何ら貢献することはないし、彼自身も不幸だろう。改宗するなり、無神論者になるなりした方が良いと思う」と見解を明らかにしていた。
近親者の中で、大学まで行ったのは、この方以外にいないと言うが、お父さんを始め、皆さん、世の中の動きを良く見ている。
店にいつもザマン紙が置いてあるので、教団との関係を訊いてみたけれど、特にフェトフッラー・ギュレン師を信奉しているわけではないそうだ。しかし、かなり好感を持っているように思える。
皆さん、AKPのエルドアン首相には賛辞を惜しまないものの、AKPの母体となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”のエルバカン師について訊くと、お父さんは、「博士号を持つエンジニアで、偉い人だが、まあ、これだったね」と言いながら、手の平で視野を妨げるジェスチャーをして見せたのである。これには、草葉の陰でエルバカン師もくしゃみをしていたに違いない。
メフメット・アリ・ギョカチト氏は、著書「イマーム・ハティップレル」の中で、フェトフッラー・ギュレン師の教団は、社会の変化への対応が早かったと評価していた。社会の変化を導いたわけではなかったようだ。
“穏健な保守主義者”であるジャー・ケバブ屋さんの人たちも、社会の変化にいち早く対応してきたのではないかと思う。そして、エルバカン師よりも、フェトフッラー・ギュレン師を高く評価している。でも、フェトフッラー・ギュレン師やエルドアン首相の言うことなら、全てを肯うわけじゃないだろう。これから先、師や首相も情勢の変化に対応を誤れば、たちまち「まあ、偉い人だったが・・・」なんて言われてしまうかもしれない。

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