メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

焼き栗屋

街角の屋台で焼き栗を売るおじさんたち、世の中が決して善人ばかりでないように、中には不埒な焼き栗屋もいます。

98年、オスマンベイで韓国製生地の営業に歩いていた時のこと。生地のサンプルを詰め込んだ車輪付きスーツケースを引きずり、ノートが入った手提げカバンを脇に抱えて得意先を回り、途中で焼き栗を買って事務所に戻ったところ、手提げカバンがないことに気がつきました。

焼き栗屋で財布を出す時に、カバンを屋台の前にちょっと置いたのを覚えていたから、それほど慌てることもなく、焼き栗屋へ行って事情を説明すると、思わず耳を疑うような親爺の返事、「カバン? いや見なかったよ」。

その時の落ち着かない様子には、それが嘘であると確信に至らせるものがあったけれど、『嘘つくな』と言っても、態度が硬化するだけだろうし、どうしようかと考えた末、

名刺を渡しながら、「誰かが持って行ったんでしょう。でも、中にはノートが一冊入っているだけだから、その内返しに来るかもしれない。そうしたら私に連絡して下さい」と頼み、ひとまず引き上げました。

実際、安物のカバンの中にはノートが一冊だけ、しかも書かれているのは全て日本語。何処かで覗かれた時のことを考えて得意先の名称すら日本語で書いていました。

というわけで、これが無かったら仕事にならないから、私にとってはかなりの貴重品であっても、盗人にとっては何の価値もありません。

これなら案外連絡して来るんじゃないかと期待したのですが、結局、その日の夜9時になっても音沙汰無し。『やっぱりダメだったか』と諦めかけた矢先、

事務所の電話が鳴り、『こんな時間に誰が?』と受話器を取ったところ、「俺だ、焼き栗屋だ」の声、「あんたのものらしいカバンが出てきた。某街某所の茶店にいるから取りに来てくれ」。

これを聞いて直ぐに事務所を飛び出しました。もたもたしている間に気を変えられたら拙いと思ったからです。

タクシーをつかまえようと大通りまで走り、止まったタクシーに息を切って乗り込んで行き先を告げると、「急いでいるのか?」と運転手さん、なにしろ某街某所が何処にあるのかも良く解っていなかったので、

「遠い?」と訊けば、「直ぐ近くだよ」という答え。ものの10分も走らない内に、その街区へ到着し、その茶店も直ぐに見つかりました。

私は、約1000円相当のトルコ紙幣を一枚胸ポケットに押し込んでから、茶店の中へ。そこは親爺どもがポーカーなどで時間を潰すクラトハーネと呼ばれる類いの茶店で、焼き栗屋も入口から程遠くない席で仲間と卓を囲んでいるところでした。

焼き栗屋は、「まあ座れ」と言って、一応私のところへも茶を持って来させてから、

「いやね、あれから夕方に仕事が終わり、屋台を片付けていたら、近くのゴミ箱をあさっていたジプシーの小僧が、あんたが言ってたようなカバンを持っていたんで、俺はそいつの首根っこを抑えつけてカバンを取り返してやったのさ」と得意そうに見え透いた作り話を語ったあげく、

「ところで、あんたのカバンはどんなだった? やっぱりあんたのものか確認しないと拙いだろ」なんて言い出すので、カバンの色などを説明し、

「良く取り返してくれましたね。とても感謝しています」と胸ポケットの紙幣を取り出すと、親爺は「ちょっと待った。カバンの色をもう一度言ってくれないか?」と渋ったけれど、

仲間の一人が「もう良いだろ。早く返してやれよ」と言ってくれて、後はすんなり。私は紙幣と引き換えにカバンを受け取ると一目散にそこを立ち去りました。

まあ、1000円で返してくれたのだから、この焼き栗屋、盗人としては極めて上出来だったかもしれません。

 

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