いつも、夜勤が明けると、三ノ宮から新快速に乗って加古川まで行き、そこで普通電車に乗り換える。時々、眠りこけて姫路まで行ってしまうこともあるが、今朝は順調に加古川で待機していた普通電車に乗り込み、がらんとした車内を見渡すと、網棚の上に大きな黒いカバンが置かれている。その真下の2人掛け席はもちろん、周囲にも全く乗客の姿は見当たらない。
出発まで時間があったので、私は電車を降りて、最後尾付近のホームに立っていた車掌さんにジェスチャーで異常を知らせながら小走りに近寄ると、その女性の車掌さんも『何事か?』とこちらへ走ってきてくれた。
事情を説明しながら、一緒に黒いカバンのところまで来ると、車掌さんは「あっ、忘れ物ですね。この電車は網干まで行ってしまうのですが、もう時間がないので車内で預かります」と言い、黒いカバンを抱えてホームに降り、最後尾の車掌室の方へ走って行った。
車掌さんは終始笑顔で対応し、そこには、何の危機意識も感じられなかったけれど、3年前、イスタンブールの電車の車内で同様に荷物が置き去られていたら大変なことになっていただろう。おそらく、私もホームへ降りる前に、他の乗客たちへ退避するように呼びかけ、辺りは騒然となっていたに違いない。
私がイスタンブールを離れて以来、この3年の間に爆弾テロのニュースは聞いていないものの、人々にはテロが相次いだ4~5年前の記憶が鮮明に残っているだろうから、今でも同じような対応を取るような気がする。その車両はもちろん、全車両の乗客が退避させられた上で、物々しい姿の爆発物処理班がやって来るのだと思う。
まったく日本は長閑であると気が抜けてしまった。あの大きなカバンを忘れて行く人も随分間が抜けている。しかし、日本でも1960年代には、何度か連続して網棚に爆発物が置き去られる事件があった。当時、7~8歳だった私は網棚に置かれた荷物を見ると、とても恐ろしい気持ちになったものだ
あの頃は、周囲の大人たちも不審な荷物には、やはり神経をとがらせていただろう。「ファーストフードの店で、席を確保するためにカバンが置けるのは日本だけ」なんて話を良く聞くけれど、当時はちょっと様相が違っていたかもしれない。
また、「席確保の置きカバンが出来るのは日本だけ」という話は、「イタリアなら直ぐに盗られてしまう。アメリカなら直ぐに爆弾と通報されてしまう」と説明されていたが、以前はトルコでも「置きカバン」は当たり前に行われていた。私もイスタンブールでファーストフードの店に入ると、まずカバンを置いて席を確保してから、レジに並んでいた。
しかし、この5年ぐらいの間、やはりテロの影響で「置きカバン」は難しくなっているだろう。それでも、周囲の人たちから見える範囲でレジに並んでいれば、そう直ぐには通報されたりしないような気もする。人々が気軽に干渉し合うトルコでは、「このカバン、誰の?」~「そこに並んでいる人のだよ」~「あっ、それ私のです」といったやり取りが簡単に成り立ってしまうのではないかと思う。