メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

作家アフメット・アルタン氏とヒディヴ邸(ザマン紙/ニハール・ベンギス・カラジャ氏のコラム)

2004年6月8日付けのザマン紙からニハール・ベンギス・カラジャ氏(女性)のコラムを訳してみました。カラジャ氏は、イスタンブールの名所「ヒディヴ邸」で結婚式を挙げる市民を扱き下ろした作家アルタン氏のことを辛辣に批判しています。

****(以下拙訳)

先週、作家のアフメット・アルタンが「gazetem.net」に書いたヒディヴ邸についての記事は、シャリーアイスラム法)への恐怖が階級的なものであることを公にした点で貴重であり、美学という名に隠された全体主義的な傾向が明らかにされた点で正に驚くべき文章だった。

アフメット・アルタンは、客人たちに美しいイスタンブールを見せようとして案内したヒディヴ邸が、「イスラム的な為政者たちの好みにより、醜いモニュメントに成り下がった」ことに立腹しながら、「しかし、考えて見ると、この人たちに見られる美的感覚の欠如は、彼らがこういった文化財と、かつては接点を持っていなかった為に生じたということに気がついた」と書いている。

そして、二度とヒディヴ邸には行けなくても良いから、「この人たち」の為に譲歩して、自らの行動範囲を狭めて殻へ閉じこもることを決意したというのである。

アルタンはヒディヴ邸で何を見たのだろうか? その部分を引用して見よう。

 

「ヒディヴ邸の庭園に入ったところ、未だ車を降りた時から、異様な雑然とした雰囲気が私たちを迎えてくれた。少し歩けば、今度はこの庭園で聴くことが似つかわしくない音楽が鳴り始める。濃厚な焼肉の匂いが漂って来て、それは辺りの木々にも染み付いてしまったかのようだ。子供たちが騒ぐ声の甲高さは教育の欠如を示し、スカーフを被った女性たちと顰めっ面をした男たちが花壇の間の小径を歩いていた。建物の前では結婚式が催されていて、男女がイスラムの法に従って別々に、しかも誰一人笑顔を見せることなく座っているのが見える。そして、あの美しい建物の内部は、正しく田舎町のクラブの状態になっていた。優雅さは粗雑な扱いを受けて消えうせてしまったかのようだ」

 

エリートクラス、あるいはエリートクラスをモデルにしている「中の上クラス」の人々にとって、宗教的なシンボルは、「自分たちを追い出そうとする下層クラスの悪趣味」と映っているのだろう。

「トプルム・ビリム(社会学)誌」の2001年10月号に、「イスタンブールの文化地図、ガレリア、アクメルケズ、キャピタル(訳注:いずれも高級百貨店です)を比較する」という特集が組まれていた。

そこには、各店の常連客の意見も記されていて、もう一人のアフメット某:45歳-弁護士は、キャピタルよりもアクメルケズを好むと言い、その理由を次のように語っている。

「・・・キャピタルの映画館へ行くとしますよね。凄い混雑な上に95%は田舎者と言って良い、保守的な人間たちです。酷い人だかりにスカーフの群れ・・・、アクメルケズはヨーロッパ側を代表していますね」。

ここで悲しむべきは、階級ばかりでなく、作家であることが与えた特権により、社会の各層を徘徊しながら上下関係をひっくり返し、階級的なステータスや偏見を風刺することで存在を示さなければならないはずのアフメット・アルタンが、ある出来事に対して、職業上のステータスを有するだけの弁護士アフメット某と何ら変わらない視点を向けていることである。

作品に現れる全ての女性に美しさを見出すほど気前の良いアフメット・アルタンが、ある人々の群れを観察し、子供の声にまで注意したあげく、「醜い」というレッテルを貼り、全体主義的な美的観念を肯定したことは、周知の傷ましい階級両極化現象を改めて見せただけのものでしかない。

また、歴史的な遺産の保護が問題であるのなら、それは、「まあ良いさ。少しはこの人たちも政権党の恩恵を受けるがいい、これで成長してくれるかもしれない」と言うアルタンの鑑賞眼では捉えきれないテーマだろう。

しかし、問題は恩恵の享受者が変わったということではない。市内の美しい場所を「広く人々に開放」することは、平等で公平な政策という点からいって悪くないことも明らかだ。

かつて左派の人たちが要求し、今や何処からも支持されている幾つかの普遍的な原則を、イスラム色の強い政権が主張し始め、これが実施に移されるようになると、今度はそれを「価値のないもの」にさせようとする。

新政権のカラーを批判するためには、同色である低収入層の人々を扱き下ろすことも辞さない。そして、エリートクラスの階級的な言葉を響かせる。

昔だったら、「階級の壁が外され、富と経験を分かち合う基礎が築かれた」といって賞賛されるべきものが、今や「選ばれた白人」の褐色の代表者にとっては不当なことなってしまうのである。

(訳注:「選ばれた白人」というのは、ハイソを気取る人たちのことを皮肉る「白いトルコ人」という俗語から連想された言い方と思われます。著名なジャーナリストであるチェティン・アルタン氏を父に持つ2世作家のアフメット・アルタン氏は「白いトルコ人」の代表格として良く槍玉に挙げられていますが、実際の肌はかなり地黒です)

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