1991年にソビエトが崩壊すると、西側陣営はこれを「自由主義の勝利」と喧伝した。私はその勝利を歓呼して迎えたわけじゃなかったが、漠然と「これから世界はもっと良くなるだろう」と思っていた。
あれから既に32年が過ぎている。果たして世界はもっと良くなったのだろうか?
この32年の多くの部分を私はトルコで過ごし、今でもトルコへ戻れる日を夢見ているけれど、トルコにとって「冷戦の終結」は決して良いことばかりではなかったかもしれない。
米国は、「冷戦の終結」以降、あからさまにトルコの分割を画策するようになったと言われている。
しかし、トルコはその策謀のクライマックスとも言える「2016年7月15日のクーデター事件」を乗り越えると、徐々に安定を取り戻し、10月29日には「建国100周年」を盛大に祝うことができた。
現在では欧米の各国が不安定な状況に陥っているのではないかと指摘するトルコの識者も少なくない。ウクライナとガザの戦争で泥沼に嵌ってしまったのは欧米の方だろうと言うのである。
米国はウクライナとイスラエルを支援するに当たっても「自由主義を守る」と主張しているけれど、その「自由主義」は何だか随分と色褪せてしまったように思える。
今考えると、「ソビエトの崩壊」で勝利した「自由」とは、百万長者が億万長者になるための自由だったのかもしれない。
そもそも、「これから世界はもっと良くなるだろう」なんて思っていた私が、自由に何かを考えていたのどうか解らない。おそらくは今でも自由の意味すら解っていないと思う。
しかし、SNSで「交通費の高い日本では、貧困層に『移動の自由』も与えられていない」という記述を読んだけれど、これは何となく解る。まさしく今の自分がそうだからである。
「トルコへ戻れる日」どころではなく、海外へ出るのも夢のまた夢、国内の移動さえままならない。今年の正月に東京へ行くことができたのもまるで夢のようだ。