メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

敗戦の日に平和を考える

78年前の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。こうして太平洋戦争が終結する。多分、日本でこの歴史を知らない人は殆どいないと思う。

そして、多くの人たちが無謀な戦争を始めた軍部を非難してやまない。今、真珠湾攻撃による開戦を肯定的に語ったら狂人扱いされてしまうだろう。

しかし、トルコには太平洋戦争の日本を英雄視する人が少なからずいた。あの憎き米国へ戦いを挑んだことが評価されているようだ。

米国は、トルコで凶悪なテロを繰り返してきたクルド武装勢力PKKを公然と支援している。そのため、トルコの人たちが米国を憎む気持ちには甚だしいものがある。

日本では余り取り沙汰されないが、トルコばかりでなく、中東や南米の各国で大半の人々が米国を憎んでいるという。トルコの軍事評論家ジョシュクン・バシュブー氏は、それを「米国が躓いたその時、手に棍棒を握りしめた多くの国が待ち構えている」と例えていた。

おそらく、手に棍棒を握りしめた多くの国々は、『我々が棍棒なら、日本はサムライの刀で待ち構えているはずだ』と期待してきたに違いない。

だからこそ、911事件の翌日、「ついにヒロシマの仇を討った」という見出しがトルコの新聞の一面を飾ってしまったのである。

もちろん、太平洋戦争に至る日本のアジア侵略で被害を受けた中国や韓国の人たちから同様の期待や評価は聞かれないだろう。

明治の日本は、日清・日露と自分よりも強大な国を相手に戦った。少なくとも日露戦争には幾分かの「義」があったはずだ。しかし、満州事変以降の戦役は、「義」の欠片もない侵略戦争だったと言われても仕方がない。

その日本が最後に強大な国へ戦いを挑んだのが太平洋戦争であり、そこには以前の侵略戦争とは比べ物にならない「義」も感じられる。

この戦争を戦った軍人たちが今もって貶められているのは極めて理不尽なことではないだろうか。スローガンに掲げていた「大東亜共栄圏」も実質は伴っていなかったが、その概念は正しかったと思う。

大東亜共栄圏」の理想を明治の初年から掲げていたら良かったけれど、その時はもっと早く欧米から叩き潰されていたかもしれない。同様に、現在、各国が期待していると言って「サムライの刀」を振り回したら、それこそ「きちがいに刃物」である。

歴史を振り返ってみれば、この世界に「義」が通ったことなど殆どなかった。「義」を通すより、まずは我が身を守らなければならない。

しかし、NATOの拡大を推し進める米国は、かつてないほど異様に強硬な姿勢を見せているし、その挑発に乗っかったロシアにも何だか不安な状況が感じられる。

この両国が数多の核を保有しているのは、まさしく「きちがいに刃物」と言っても良さそうだ。双方を宥めて平和へ導くのは至難の業であるような気もする。